奥州街道:杉田宿北の旧街道を確かめる
2007年 12月 31日
旧街道に入るには、一度国道4号バイパスにのって二本松方面に向かう。旧道に入る分岐店を左折して、少しいくと左手に人家の私道のようなところがある。これが、旧街道だ。案内板もないので、興味のないものはそのまま通り過ぎる。
人家の前を遠慮しながら登っていくと伝説の桜があり、案内板が建っている。それでこれが旧街道で間違いらしいことが分る。
この道の広さや雰囲気が旧街道かと頭に描きながら進んでいくと、やがて工場前にぶつかっる。
右手に旧道が走り、旧街道は消える。この旧道が旧街道と重なっていくのか、工場と重なるのか、それとも工場の左手の道が旧道なのかは定かではない。
七夜桜の由来碑には、以下の説明がある。
七夜桜の由来
昔、北杉田村(現 二本松市杉田町)に美わしい少女と雄々しい生年がおって、二人はいつか人目を忍ぶ仲となっていた。そして、「あの桜の咲く頃に、あの桜の下で、契りを結ぼう」と、堅い約束のとうり桜の樹下に行ったが、現在のように時刻なども明確でなかったためか、相逢うことことが出来ないままに次の日も、次の日も通い続け、7日目の夜になってようやく逢うことができて、契りを結ぶことができたとう。
七夜桜の由来を語る純情な少年少女の物語であるが、残念ながら現在桜は一本も残っておらず、ただこの道(以前は二本松城下町に通じる重要道であった)を7夜坂と呼ぶだけとなっていた。
この名所は、八幡太郎義家のほか、水戸光圀公もいまの岳温泉に湯治にいく折立ち寄り「7色花が咲き誇る名所」と呼んだとも伝えられている。ここにある歌碑は、藤原実方朝臣の作で、平安時代初期に歌われたもので、
七夜桜はるばる
ここに北杉田
やがて都へ
帰る身なれば
文政9年建立、昭和22年10月再建されたものである。