地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道:杉田宿北の旧街道を確かめる

 杉田宿から二本松に向かうと、旧道はバイパスをくぐって進んでいくが、これは昔の旧街道ではないらしい。杉田宿北側の街道は、国道4号バイパス工事で分断され、消えている。
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 旧街道に入るには、一度国道4号バイパスにのって二本松方面に向かう。旧道に入る分岐店を左折して、少しいくと左手に人家の私道のようなところがある。これが、旧街道だ。案内板もないので、興味のないものはそのまま通り過ぎる。


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 人家の前を遠慮しながら登っていくと伝説の桜があり、案内板が建っている。それでこれが旧街道で間違いらしいことが分る。


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 この道の広さや雰囲気が旧街道かと頭に描きながら進んでいくと、やがて工場前にぶつかっる。


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 右手に旧道が走り、旧街道は消える。この旧道が旧街道と重なっていくのか、工場と重なるのか、それとも工場の左手の道が旧道なのかは定かではない。


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 七夜桜の由来碑には、以下の説明がある。
 七夜桜の由来
 昔、北杉田村(現 二本松市杉田町)に美わしい少女と雄々しい生年がおって、二人はいつか人目を忍ぶ仲となっていた。そして、「あの桜の咲く頃に、あの桜の下で、契りを結ぼう」と、堅い約束のとうり桜の樹下に行ったが、現在のように時刻なども明確でなかったためか、相逢うことことが出来ないままに次の日も、次の日も通い続け、7日目の夜になってようやく逢うことができて、契りを結ぶことができたとう。
 七夜桜の由来を語る純情な少年少女の物語であるが、残念ながら現在桜は一本も残っておらず、ただこの道(以前は二本松城下町に通じる重要道であった)を7夜坂と呼ぶだけとなっていた。
 この名所は、八幡太郎義家のほか、水戸光圀公もいまの岳温泉に湯治にいく折立ち寄り「7色花が咲き誇る名所」と呼んだとも伝えられている。ここにある歌碑は、藤原実方朝臣の作で、平安時代初期に歌われたもので、
 七夜桜はるばる
      ここに北杉田
    やがて都へ
        帰る身なれば
 文政9年建立、昭和22年10月再建されたものである。

Commented at 2015-01-28 17:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shingen1948 at 2015-01-30 17:47
杉田は、宿場の観点、安達郡衙の観点などから興味深いところですよね。安達・安積を含めた中心地だったのではないかとか、古い信仰の山とされる東和の小幡山とのかかわりなどを想うと、……。
by shingen1948 | 2007-12-31 06:18 | ◎ 奥州街道 | Comments(2)