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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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天王壇古墳

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 金山古墳にたどり着いたので、その位置関係から天王壇古墳にたどり着いてみようと思った。
 2~3度行き戻りはしたが、比較的容易にたどり着くことができた。ここは、本宮ということだが、大玉村との境で、行政の線引きは考えないほうが、本宮・大玉の間に広がる古墳群のイメージが広がる。


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 畑の中だが、がっしりとした案内板が建っている。古墳の大きさや埴輪等の説明があり、出土品と円墳の地形図、甲冑埴輪の全国分布図が絵や写真で説明されている。

説明板の中、次の文にある「谷地遺跡」とは、先に訪ねた「下舘跡古墳」、「九遠壇古墳」と思われる。その地名が谷地である。

 
円筒埴輪は、口唇部直下より4段に凸帯をめぐらす特徴を持ち、埴輪の整形に、二次調整痕(横ハケ使用)が見られます。この形態には、安達郡大玉村の谷地古墳や伊達郡国見町の国見八幡塚古墳など阿武隈川流域に見られます。


 



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天王壇古墳(五世紀後半)
 福島県安達郡本宮町字南の内 

 安達太良山の東に広がる扇状地内の小丘陵にあり、埴輪をめぐらした円墳です。直径38㍍、高さ4㍍、古墳の西側に幅5㍍、長さ3㍍の造り出し方形部をもち、古墳のまわりに、幅約6.5㍍、深さ1㍍の周溝がめぐっています。
 古来、天王壇古墳周辺は7ツ壇と呼ばれ、古墳が数多く集まっていることで知られていました。この古墳は、幕末の頃掘られ、その内、石製模造品の一部が地元に保管されています。
 1982年の周溝部調査の結果、周溝内外から埴輪棺(円筒埴輪を棺として利用したもの)が4基発見されたほか、朝顔形を含め大量の円筒埴輪や多くの形象埴輪が出土しました。その種類は甲冑形、女子人物(巫女)、鳥形、衣挽形、樽形かわら形、犬形、猪形、埴輪壺、小形土製馬、小形土製鳥などがあります。
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円筒埴輪は、口唇部直下より4段に凸帯をめぐらす特徴を持ち、埴輪の整形に、二次調整痕(横ハケ使用)が見られます。この形態には、安達郡大玉村の谷地古墳や伊達郡国見町の国見八幡塚古墳など阿武隈川流域に見られます。
 周溝内より出土した円筒埴輪の制作技法や須恵器、眉丑付胃と三角板短甲を組み合わせた甲冑形埴輪などの特徴から、造られたのは5世紀後半と考えられます。馬具をつけた土馬や装飾的な眉 付胃をかたどった甲冑形埴輪などの発見により、内外より発見された埴輪棺もこれより北の東北地方では発見されていません。墳丘上に牛頭天王をまつっていたので、天王壇と呼ばれています。
 平成2年3月23日、天王壇古墳の出土遺物は一括して福島県重要文化財として、指定を受けました。出土品は本宮町立歴史民俗博物館(℡33ー2546)で保管・展示しています。
 平成6年3月 本宮町教育委員会
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by shingen1948 | 2007-12-26 04:49 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)