人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

下館跡発掘調査のパンフレットを見つけた

 先日散策で立ち寄った「二子塚古墳」は、「大玉村水利事業史」によれば、現在の郡山から本宮地方にかけての地域を支配していた阿尺(あさか)国造の墓ではないかという説もあるとのことだ。この話は、想像を膨らませることができるという意味で興味深い。
  もし、そうなら、有力な地方の豪族であった阿尺の物語が想像できるからだ。
阿尺は、国造の姓が贈られて、かなりの自主性の下に安達安積地方の支配を任されていた。軍事権・裁判権などもあった。
それが、大化の改新以降、世襲制の名誉職となり、主に祭祀を司ることになり、従来の職務は郡司に置き換えられてしまった。その職務が、安積神社であり、……。というふうに、安達安積地方の範囲を考えた物語の想像が成り立つことになる。
郡山に残る長者物語とここに残る長者物語が、虎丸長者で同じであることも結びつく。
勿論、これは勝手な想像でしかないのだが。
a0087378_1355634.jpg
昨日、下館跡発掘調査について一般向けのパンフレットを見つけた。これは、村道の神原田・馬尽線改良工事に伴う調査で、平成16年3月にまとめられたものだ。あらためて、 大玉村は、古墳時代の遺跡がたくさんある村だということを実感する。


a0087378_424455.jpg 
 発掘地点は、大部分は大山小学校の校庭南端の所だ。
 この付近からは、昔から土器破片が多く見つかり、古墳や舘跡があったのではないかと言われていたところだそうだ。昭和20年代には、本村郷土史家髙橋丑太郎さんが埴輪を採集していたという。昭和63年度の部分調査と平成15年度の発掘調査で、直径25㍍程の円墳の溝跡を確認したとのことだ。また、この溝跡から埴輪の破片が多く見つかり、この埴輪の特徴から5世紀後半と推定しているとのことだ。
 なお、この地点から西に向かった信号のある角の右手が、久遠壇古墳で人や馬の形をした埴輪が出土しているとのことだ。 同じような埴輪は、行政的には本宮市になってしまうが、二子塚の南側の天王壇古墳からも出土しているとのことだ。
by shingen1948 | 2007-12-18 04:20 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)