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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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郡山台郡衙跡に立ち寄る

 時々、奥州街道杉田宿の北町辺りをスポット的に確かめている。
  案内板に誘われて、郡山台郡衙跡に立ち寄った。現地の現状は、住宅地にある広場で何もない。しかし、郡衙(郡役所)は、国府(陸奥国は多賀城)の下部機構として整備されたもので、律令時代に地域に根ざした地方役所となったところとのことで、この時代の埋蔵文化財としては価値のあるもののようだ。
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  この郡山台は、安達郡の郡役所跡だ。
 安達郡は、延喜6年(906)に、安積郡を分割して、安達郡を新設したことによるのだが、そのことは、平安時代の書物である『延喜式』に記載があるとのことである。
  古代の福島県(陸奥国南部)は、白河郡、岩瀬郡、安積郡、安達郡、信夫郡、伊達郡が設置され、それぞれに郡役所と付属寺院が置かれていたという。その郡のうち、安達郡は安積郡から、伊達郡は信夫郡から分割されたということだ。
  近年まで安達町、東和町、岩代町、本宮町、白沢村、大玉村に安達郡の冠がついていた。それが、平成の大合併で、安達町、東和町、岩代町は二本松市に合併し、白沢村と本宮町が合併して、本宮市になった。結果として、安達郡の冠をつけているのは大玉村だけになってしまった。

  案内板によると、ここでは昭和51年(1976)から7年間の調査で、掘立建物跡・塔跡・竪穴住居跡・柱列・溝跡などが確認できたという。
 一般的に、郡衙の建物は、正倉院という米倉、行政施設である郡庁、館としての宿舎や厩、調理棟である厨院など約四十棟で構成されるという。そして、そこには大領・少領・主政・主帳と呼ばれ官人が勤務していて、更にその下には、郡衙の雑任たちがいたという。
  当時は、多くの人々で賑わっていたようだ。

福島県のホームページ「ふくしまの歴史と文化の回廊集」の「4、阿武隈川流域の古代役所を旅する~舟運を利用した古代郡役所を眺める」によると、福島県の遺構について確認の現状は以下のようだ。
  白河郡は関和久遺跡と借宿廃寺、岩瀬郡は上人坦廃寺と栄町遺跡、安積郡は清水台遺跡、安達郡は郡山台遺跡、信夫郡は五老内遺跡と腰浜廃寺、伊達郡は所在不明である。
これらの郡衙は阿武隈川流域に発見され、古代から河川を利用した水運が発達していたことが推定されるとのことだ。
更に、白河郡は、当地を支配した豪族の居館や古墳が多く発見されている地域であるとの記載がある。この記載から、大玉村の古墳群との関連を想像してもよいかもしれないと勝手に思う。
by shingen1948 | 2007-12-10 04:14 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)