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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山と伊達氏④:「七曲がり坂」

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今回は、羽黒神社を経由して第一展望台に立ち寄り、それからまた羽黒神社の入り口に出て、旧参道に戻った。


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  南の鳥居の左手の七曲がり坂に出たかったのだ。
  七曲がり坂に拘ったのは、 「寂光寺」の人々を引き連れ、撤退した伊達政宗は、どこからこの山を下りたのだろうかとの思いだ。国見に戻ったという話と、茂庭を経由したという話があるようだが、はじめに知ったのは、茂庭経由の話だ。どこを降りればいいのか勝手に想像してみると、この七曲がり坂が似合っていると思えてくる。

 「福島の伊達氏」では、以下のように記述する。
 
しかし、上杉の反攻はするどく、政宗は目的を達することが出来ず、飯坂を通って逃げる途中、茂庭では農家の一隅で臼をかぶってあやうく難を逃れるという一幕もあり、鎧の草刷りや陣地の旗、まん幕さえ、引きちぎられたり、足踏みにされたりしている。

  この坂を降りようと思ったのには、もう一つ理由がある。今回の信夫山の散策で、この場所で知り合いになった方がいた。その方とは、この七曲がり坂の下り口で話をした。登山の練習のため信夫山を歩いているようだった。
 山登りをする方の見方からすると、この七曲がりの坂と美術館の裏の水道局のところから羽山を目指すコースの雰囲気がお勧めとのことだった。福島第四中から降りるコースもお薦めとのことだった。本当は、時間の指定もあって、午前中なら西の山に光が当たる景色を独り占めにする至福のひとときが得られるとのことだった。
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七曲がり坂には、石標塔が建っていた。
この坂道は、文治の頃信夫庄司基治が羽黒神社への参道として開いたと伝え信夫山の「暁詣り」に北西部の村むらの人たちが必ず通った参道であった。うねうねと林をぬける道である。
福島信夫ライオンズクラブ
by shingen1948 | 2007-11-30 04:21 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)