地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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上之内(城之内)古戦場~白沢村糠沢

白沢の糠沢は何度か通ったのだが、戊辰戦争の城ノ内古戦場跡はよく分からなかった。地元の人にとっては直ぐに分るところであろうから、聞けばいいのだろうとは思う。しかし、勘だけでたどりついてみたかった。その理由はない。
  目印は、県道沿いであることと桜だ。ここでは、二本松藩約60名が戦死したとのことだが、シダレザクラに身を隠し命拾いしたとの話が残っているとのことだからだ。

  たどり着いたのは秋口だったが、たどり着いてみると、迷っているほうがおかしいぐらいなところだった。
 商店の脇には案内板が建っている。その脇にある農道を登ったところにある農家が、古戦場らしい。
  なかなかたどり着きにくかったのは、本宮から白沢に抜けるのに、昭代橋を通っていたからだ。旧街道は、安達橋を渡ることは分ったはずなのに、その後もそちらを通っていたからだった。
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 ここは、二本松落城の2日前、本宮戦争最大の激戦地であったとのことだ。城之内は二本松領であったため、多くの二本松藩士が出陣していた。城之内の名主宅を本陣として樽井隊2個小隊が守っていたという。
  明け方薩摩軍数百名による一斉射撃の奇襲を受けて、二本松兵は即刻応戦したが、寸時に破れてしまったという。二本松兵は、和田・西荒井・平石・大平などを経て城下に逃れたが、130名中、生存者は僅か17名であったとのことだ。
  この中に、武藤定助(15)、田中三治(16)、岩本清次郎(17)、中村久次郎(17)が参戦していたとのことだ。岩本・中村は木村門下生とのこと。

 農家の脇を左に入り、奥までいくと、軍卒合葬塔があるとのことだがまだそこまでの確かめはしていない。ここでも、東軍の骸は、地域住民が葬っている事とのことだ。
by shingen1948 | 2007-11-25 04:34 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)