地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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本宮宿北町を中心に概観する

 本宮が、伊達政宗が会津に向かったり、それを阻止しようとする勢力と対峙したりする重要な地点になっている。それは、この宿が、各街道の交差点になっているからだろうと思う。
 奥州街道の宿場町だから、南へは江戸方面へ、北には奥州方面へ進むことは勿論だが、更に、西方には会津街道が伸びていて、東方には浜方面の街道が伸びる。西には、二本松街道ものびている。伊達政宗は、小浜→岩角山本宮と浜方面の街道をやってきて、会津を狙う。それを阻止しようと、各街道から対抗する勢力がやってきて対峙する位置のようなのだ。

 北町を歩いて実感できるのは、北に向かう奥州方面と、東方に向かう浜方面の街道だ。今は、浜方面は、昭代橋が架かっているので北町側からも抜けられるが、元々は、本宮宿の中心に架かる安達橋の所からしか抜けられなかった。そこに、阿武隈川を渡る渡しがあって、東への出入りはそこから行なわれていたらしいことは、「本宮水害対策 舟使用の意識の根底」の中でふれた。
 
 本宮宿北町は、安達太良川を挟んで北側の部分で、南側は本宮宿南町である。「福島県の歴史散歩」によると、寛永6年(1629)時点での家数は、北町112・南町99・在郷32で、計243戸とのことである。
 この北町の本陣・検断・問屋は、慶安元年(1648)から国分家、宝永3年(1706)から鴫原家が勤め、検断役のみ弘化元年(1844)から伊藤家が継いだという。
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 その本陣鴫原家邸内跡には、松の木の脇に明治天皇行在所跡碑が建っているだけだ。
  この明治天皇奥羽巡幸(東北)について、その資料展を観たことについては、昨年11月(2006.11.25)に、[「立県130年記念展」をやっていました]という見出しで書いた。
 そして、この巡幸が、地域の誇りを掛けた出来事であったことは、玉井史跡等を探る中で、「玉井の玉」を通して感じたことを書いた。その行在所であったということは、大きな誇りであったであろうことが分る。
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  「福島県の歴史散歩」では、この宿の北の外れは、石雲寺を目印にして案内されていたので、まずその寺を確かめた。


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  その寺に向かう角が、下の木戸跡(北桝形)とのことだったので、石雲寺からの道路からそちらをねらって撮ったつもりだったが、後で確かめると、位置的には糠沢組代官跡地や本宮組代官跡地方面なのかもしれない。後で、もう一度歩いて確かめてみたい。
by shingen1948 | 2007-11-24 04:27 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)