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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山:福島城②「伊達氏とかかわって」

信夫山と伊達政宗の関係では、「松川の合戦」が有名だ。このときは、関が原の合戦にかかわって、上杉氏の勢力と伊達氏の勢力が、松川を挟んで、伊達氏が信夫山に、大仏城に上杉勢である本庄が陣をしいて戦った。
今回確かめておきたかったのは、その「松川の合戦」とのかかわりではない。[福島城②「伊達氏とかかわって」]で書いた11代持宗が、福島城を根城として関東管領・足利持氏に反抗した時のこととのかかわりである。この時に、「信夫山に居を移していた懸田定勝が味方した」という記述とのかかわりだ。

信夫山第2展望台には、以下の説明板が建っている。
<史跡> 小山城跡
南北朝の戦いがあった観応2年(1358)このあたりに小山城があり、小山蔵人定朝が守っていて、南朝に味方していた。当時、東地で戦場となった信達地方、ことに霊山城下の戦いは激しいものであったのか、この戦いでここの城主小山蔵人定朝は戦死をして、小山城は滅びてしまった。
東に霊山を見、南西に広がる福島盆地を見下ろせる山城、小山乗跡は今はその名を伝えるにすぎない。
福島信夫ライオンズクラブ

 この小山蔵人定朝という小山城主が南朝に味方したという観応2年(1358)あたりの福島県の南北朝にかかわる出来事と伊達氏とのかかわりを並べてみる。

 福島県史によれば、1346年時点で南党が保持できた城は、宇津峰、岩瀬の鉾椎を除けば、霊山、藤田、梁川、掛田、蓮沼(梁川)、椿舘(福島)など、伊達、信夫郡が中心であったようだ。そして、北朝貞和3年・南朝正平2年(1347)には、宇津峰、霊山、藤田諸城が陥落している。
 伊達行朝は、1348年には死去し、次の宗遠の時代に伊達氏は北朝方に降服している。
 ここに、観応2年(1358)の小山城主が南朝に味方する記述を挟んで、1412年信夫山に居を移していた懸田定勝が伊達氏に味方したという記述が並べられる。

 記述に信がおけるならば、1358年から1412年の間に、何らかの理由で城主交代が想像される。味方同志の穏やかな交代か、攻防による交代かは分らない。
by shingen1948 | 2007-11-21 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)