地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城から杉目へ:福島城にかかわって①

今年出歩いて撮りためた写真を見直して、整理をし始めている。
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県庁付近の写真を見直していて、福島城についての3つの観点があるなと思った。
一つは「伊達氏とかかわって」であり、二つ目は「大森城から杉目への移動に伴う」ことであり、三つ目が「板倉氏の居城として」ということで整理がつきそうだと思う。


福島県庁前に建つ「福島城跡」の案内板によると、福島城は、戦国時代末までは伊達氏の居城だったとのことである。
それが、文禄元年(1592)ころ、豊臣秀吉の奥州仕置により、蒲生氏郷から信夫5万石を任された木村吉清は大森城から杉目城に移ってきた。しかし、文禄4年には秀吉の命で福島城は取り壊されてしまう。
その後、板倉氏が3万石で大名の居城になるまでは、この地は、上杉氏、本多氏、堀田氏が入部したり、幕領になったりしていて、新たに城が築かれることはなかったとのことで、陣屋での支配が続いていたとのことである。
※ 福島城が杉妻城あるいは大仏城と呼ばれていた事情や「大仏城跡出土宝搭」について「ふれあい歴史館」ブログのふれあい歴史館界隈の史跡Vо13「福島城跡出土宝搭」が、紹介している。この出土品は、県庁東側の紅葉山公園内にあるとのことだが、見逃していた。

  まずは「大森城から杉目への移動に伴う」ことについて整理してみる。
このことは、大森の地では廃棄されたことであり、大森の探訪では確かめにくい。しかし、奥州街道の西裡通りでは、寺の創設が大森で、現在はこの裡通りにあるという寺がいくつか見つかる。
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寺前に建つ[福島山廣大院「誓願寺」]の案内板によると、この寺は、永禄10年(1567)大森城下に創建されている。文禄2年(1593)、大森から杉目に城が移された時、この「誓願寺」も現在地に移転したとのことだ。案内板では23夜搭が紹介されている。


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  譜代大名板倉家の菩提寺でもあり、明治6年には仮県庁とされた鷹峰山「常光寺」も創建は大森のようだ。そのことが、案内板で確かめられる。永正3年(1506)に劫外長現大和尚によって大森に創建された曹洞宗の寺で、その後現在地に移ったということだ。




※ 伊達氏と福島城のかかわりについては、[福島城②「伊達氏とかかわって」]として、2007.11.20に整理してみた。
※ 福島城の伊達氏とかかわる信夫山については2007.11.21に[信夫山:福島城②「伊達氏とかかわって」]で整理する。
by shingen1948 | 2007-11-18 04:28 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)