地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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史跡を訪ね歩いての余談

やっていることにかかわって、普段見逃してしまう小さな話題に目がいくことがある。最近は、伊達政宗にかかわって史跡を訪ね歩くことが多かったが、それにかかわる普段なら見逃す小さな話題が目に入った。
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一つは、最近訪ね歩いた宮森城にかかわることだ。
11月13日の元若松商工会議所会頭で花春酒造相談役の宮森氏の訃報だ。この「宮森」というところが気になった。たまたま「花春酒造」のホームページを開いて、二本松の畠山氏についた大内氏の子孫だと書かれているのをみつけていたからだ。「宮森」氏を名乗っているのは宮森城主であったこととかかわっているのだろうと想像する。ご冥福を祈ります。
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もう一つは、先月「福島民報」の「粟の須」にかかわる記事だ。
 「ひと・話・ふれあい」という小さなコーナーで、9月8日に「粟の須忌年祭」が行われたことに関するトピックスが紹介されていた。二本松市沖の粟の須古戦場跡で行われたこの祭りに、末廣酒造の社長が参列していたとのことだ。たったそれだけだが、その記事の中に、新城氏は二本松城主畠山義継の城代家老新城弾性の子孫ということが書いてあった。
伊達政宗について調べていくと、政宗側に立って歴史物語は展開しているのだが、地元では、この史跡も含めて畠山氏の立場で考えられている。主人公は、伊達政宗に攻め込まれた悲劇の畠山氏だ。ここの案内板は、拉致の場面でも、「伊達の不穏な動きを感じて」と付け加わる。また、ここに建つ慰霊碑は、畠山氏のもので、ここで討たれた畠山氏の家来も含めた慰霊碑が建っている。

会津に逃れた方々が、その後今ままでつながっているという安堵感のようなものを感じる。
by shingen1948 | 2007-11-15 05:08 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)