地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城跡を訪ねる③大森鉱山

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 山頂の駐車場近くに、大森鉱山の案内板が建っていた。


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 この城山の西側で、八幡様とこの城山の間が中心のようだ。この城山に登る前に一周していたので、風景が思い浮かぶ。また、絶壁なのでそのあたりがよく見える。


 説明板には以下のように書いてある。
 この右側の傾斜地に大森鉱山の精錬場がありました。
 昭和14年(1939)近代的な精錬場が建設され、昭和21年(1946)まで精錬されました。

 大森鉱山の沿革は、永禄年間(1558-1569)から天正年間(1573-1591)の開坑といわれています。大森城山と西方睡眠山(黄金八幡)とその西にある玉の森山に坑道の跡が残り往時を物語っています。慶長年間(1596-1614)徳川幕府時代には、盛んに採掘されたと伝えられています。

 このことを、大森城の年表と重ねてみる。

 開坑のころというのが、伊達政宗が、安達田村で戦い会津を目指している時代である。
 伊達氏の争乱が終わって10年後から、大森城主が実元から成実に移り、その成実が二本松に移って片倉が城主になるというあたりだ。
 また、最盛期が、木村吉清氏が城を福島に移し、大森城が廃城となったあたりから、信達地方は上杉景勝の領地となるあたりから、城代芋川元親が上杉方の武将として大阪冬の陣に参加するあたりになるようだ。

 その後も鉱山は、明治時代まで続いて、一時廃山となったようだ。大正時代に再び採掘を開始しているようだが、その事については、以下のように説明している。
 大正2年(1913)半田村の安孫子平三郎氏により、採掘を再開。その後鉱業権は転々と人が変わり、昭和13年(1939)田村鉱山に経営が移り、近代的な精錬場を建設、信夫山や大笹生地区の鉱石も製錬したと伝えられています。大森地区は、大森鉱山と大森精錬工場(街道脇)の発展でおおいに賑わいました。

by shingen1948 | 2007-11-10 04:30 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)