地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福祉は人なり」を読んで

「福祉は人なり」を読んで、瓜生岩子についての概要を知ることが出来たことが一番の収穫だった。しかし、それだけではなく、この本の中に生き方に興味を持った方が紹介されていたことも、懐かしく思い出せたことも収穫だった。

  ひとかたは、三尾砂氏だ。戦災孤児を家族として養育するため、東京から、伊達郡茂庭村蛇体の山中に移り住んだ方だ。妻の寿美子氏と供に、孤児を自分の子として養育に専念していたとのことだ。
 10年ほど前、この方が、青葉学園を創設したかたで、ローマ字を主体とする教育を行っていたことを知った。
 
 もうひとかたが、岡山孤児院の石井十次氏だ。 3年前、関西の地方で「石井のおとうさんありがとう」という映画をつくったという紹介を何かで観た。興味があって、福島の本屋でかかわる本を探したが、店頭にそれらしきものが並べられていなかった。それで、知り合いの本屋さんに頼んで、「岡山孤児院物語ー石井十次の足跡」という山陽新聞社が出版した本を取り寄せてもらったのを思い出した。
  地域の話題としては強烈でありながら、自分の住んでいる地域では話題にすらなっていないということも気がかりだった。

この石井十次氏については、紹介の仕方にも感心した。
  瓜生岩子氏についてきちんと紹介し、その影響についてしっかりと評価している中で、石井十次氏の活躍をきちんと考察しているのだ。スポットライトがあたるということは、その他の部分は陰になってしまうということが常なのだが、この本では、石井十次氏の影響をきちんと評価していた。本誌では、以下のような紹介だ。
 
明治38年東北大凶作の時に、岩手・宮城・福島を視察し、東北地方より800余名を救済収容したことを目撃した。このことが、会津孤児院設立の原動力の一つになっていると考察している。はるか遠方の岡山孤児院が会津地方の貧児孤児救済の救育事業を目撃したことの強烈さの評価だ。
 
  「岡山孤児院物語ー石井十次の足跡」では、その結果として、岡山孤児院は、1200名の収容となったとしている。想像を絶する事態になるとこを恐れずにやり遂げる行動を、目の前で観ていて衝撃を受けないはずはないと思う。

ついでに、瓜生岩子氏の評価についても、武田房子氏の見解とて以下のように紹介されていて、参考になったことも付け加えておく。

 (瓜生岩子は、)慈善救済事業を展開し、そのために地域の経済人政治家宗教家を組織した活動家で、
 ① 明治という封建社会の影響下で、女性が社会的分野で指導的役割を果たしたことと、
 ② 資産家でもなく、宗教家でもない会津民衆の一人が、
 ③ 出身地を拠点に「自己の人のために生きる」という信念と行動力で救済活動の実践を積み  重ね他の地域に発展させた。
by shingen1948 | 2007-11-03 05:56 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)