地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仏教の民衆化を探る

徳一について具体像をつかみたかった。そうはいっても、難しいことは分りそうもない。そんな気持ちで図書館の本を眺めていたら、薄い手ごろな冊子が見つかった。「勝常寺と徳一~みちのくに大きな仏あり」(笠井 尚著)だ。
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 何度か目を通しているうちに、実感を持って徳一の全体像をつかむためのこの冊子の読み方が見えてきた。
  その一つは、新しい宗教を、民衆への入り込ませる手段であり、次が、宗教観を追い求める姿勢である。徳一の場合は、宗教にかかわる論争による真理探求の姿勢であり、そのことは有名である。更には、彼に影響されて、従って動く大勢の人々姿の実感である。

  まずは、民衆への入り込む方法についての考察を確認する。先に確かめた冊子「会津恵日寺」の「あとがき」に、徳一の評価として筆者が考えていることが簡潔に表現されていた。
  奈良仏教は国家仏教であり、天台宗、真言宗でさえ「鎮護国家」を目標とした。だが、恵日寺は仏教を真に民衆化し、さらにその地方化を成し遂げ、「東北がはじめて示した学問的創造精神」として研究家に認められている。
  ここに言う天台宗、真言宗の「鎮護国家」を目標にしたとした戦略の具体例は、先に書いた「霊山と伊達氏」の中で触れた「田村麻呂と 慈覚大師間の連携関係」ということだろうか。
  徳一の戦略は、それとは違いがあって、民間信仰の山を仏の山に化しおえることだという。「勝常寺と徳一」から拾う。

信仰の山にお寺を建立し、そこを村の人々が共同の広場として相合し、歌や踊りを共にして、喜びを分かち合う共同体の祭礼を行なう。そうすることで、政治や官寺に対抗するもう一つの支配力を民間宗教組織から作り出したとする。これは、筑波山の中善寺と磐梯山の恵日寺に共通にいえることだという。
また、態度のもう一つの違いを以下のように指摘する。
最澄が、真理は一つであると説き、無知蒙昧な者達を教化するという奢りがあり、いわば啓蒙思想である。それに対し、徳一は、多様主義である。仏教に対して人それぞれに色々なつきあい方があるとする。

ただ、天台宗とも共通する現世的な方策も否定していない。勝常寺の座しておられるのは薬師如来としていることについての考察である。
筆者は、人々が、身近なレベルで受け入れている証拠と見ている。実際に薬草を使って多くの命を救ったり、病気を治すという現世的なご利益をもたらしていたと推測している。また、仏教受容の日本的な特異性として、法や僧よりも仏の崇拝が中心であり、そこに仏像の役割があるとみている。勝常寺は、現世的な利益が重んじられ、救護院的な役割もあって、そういったことを受け入れようとしたのではないかと推定しているようだ。
  更には、こういった日本的な宗教の受け入れ方である「神を崇拝することと仏教を一体化してしまう」ということが特化しているとみる。都から離れた遠隔の地であったことで、大陸の影響から脱し、日本化が進んだのではないかと推定しているようだ。
by shingen1948 | 2007-10-28 04:45 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)