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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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伊藤泰雄編「会津恵日寺」を見つけた

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先日、県立図書館で偶然「会津恵日寺」伊藤泰雄編を見つけ懐かしかった。
恵日寺に最初に訪ねた日を思い出した。卒業間近かの日に友人と2人で来たのだが、そのきっかけは、分らない漠然としたものを訪ねるという気持ちだった。

学生時代にこちらが勝手に尊敬していた教授が、会津とかかわりがあるというだけで、徳一について熱く語ったのだ。ところが、その時こちら側は何も知らなかった。それが、罪悪であるかのように感じていた。とにかく行って見なければということで、突如訪れることを決めたのだ。
しかし、恵日寺が、大きな勢力をもっていたことなどは感じたが、正直、熱く語られるべき寺との感情は湧かなかった。それでも、若さとはそれ自体が素晴らしいことで、寺に上がりこんで教えを乞うている。そのときに、これが一番分りやすいと思うよと薄い冊子を手渡された。それが、この本だ。あの時お会いした方はこの著者だったかも知れない。

それから、何度か立ち寄っているのだが、この年になっても、熱く語られた熱意に匹敵するものがまだ見えていなかった。
最近、司馬遼太郎氏が、会津に入るとき、本当は二本松街道にしたかったという思いを知った。それは、途中で磐梯町の恵日寺に立ち寄りたかったというのだ。徳一についての思い入れが強いのだ。また、「高湯温泉400年史」では、山岳信仰にふれている。それは、会津の恵日寺とのかかわり抜きでは語れないというのだ。
もうそろそろ感じろよといわれているような気がした。家にあるはずだが、図書館から本を借りて、開祖の徳一と恵日寺の変遷の概要を確認した。
  司馬遼太郎氏のかかわりでは、開祖の徳一の確認が大切だ。まず、徳一の概要を確かめる。
  開祖の徳一は、会津で南都教学の代表として、天台宗の最澄や、真言宗の空海との論争が浮き彫りになる。天台宗の最澄とは、5年間にわたる論争であり、その反論が最澄の著作を生み天台宗は体系をなしたとする。また、真言宗への批判としては、真言宗未決文として残っているとのことだ。
徳一の生年を、恵日寺の徳一廟を入滅の論拠として、天平勝宝元年(749)と推定している。

  前書きの部分でのポイントは、次の部分だろうか。
奈良仏教は国家仏教であり、天台宗、真言宗でさえ「鎮護国家」を目標とした。だが、恵日寺は仏教を真に民衆化し、さらにその地方化を成し遂げ、「東北がはじめて示した学問的創造精神」として研究家に認められている。
by shingen1948 | 2007-10-26 04:26 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)