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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂八幡神社

 飯坂八幡宮は、秋の例大祭におけるいわゆる「けんか祭り」がいい。この祭りを始めて観たのは30年近く前で、山車のぶつかり合いも勢いがよかった。勢い余った若者と警備の警察官の口争いもよく見かけたことが、懐かしい。
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 もし、飯坂の古舘が、伊達為家の築城というのに信がおけるのなら、この地区の八幡神社が古くから創建されていたとしても不思議はない。そう思ったが、案内板を確認してみると不確かなようだ。
 神社内の福島市教育委員会の案内板(平成2年11月6日)には、以下のように記述されている。
 
八幡神社は、飯坂における早い時期からの鎮守で、後の郷社であったことが伝えられている。

 神社が掲げた案内板には以下のように説明されている。
  鎮守八幡神社は創建古く年月不祥であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役に奥州出陣中の源義家がこの地にさしかかったとき、空にたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の守護神である八幡大神が戦勝の駘として示されたものと信じ、必勝祈願に勧請したと伝えられている。

 また、本殿の建立年代については、福島市教育委員会の案内板では、宝永7年(1710)寅年9月28日八幡宮棟札写の保存は信をおけると考えられるとしているとしている。従って、神社の説明の以下の部分は歴史的に確実な情報とされていると考えられる。
宝永7年(1710)城内から現在地に再建され、明治4年に村社に、同じく23年には郷社としてこの郷の総鎮守に列せられ、深い信仰と尊崇を集めた。

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 最近気がついたのだが、近所には大きな八幡寺があった。明治政府の政治的理由による神仏分離政策に忠実に従っている。民衆の生活に密着した神や、以前の歴史がこの時に消えたことも想像される。



  神社にある案内板には、以下のように説明されている。
福島市指定文化財八幡神社
御祭神 譽田別命 息長足姫命 玉依姫命
御由緒
  鎮守八幡神社は創建古く年月不祥であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役に奥州出陣中の源義家がこの地にさしかかったとき、空にたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の守護神である八幡大神が戦勝の駘として示されたものと信じ、必勝祈願に勧請したと伝えられている。
  その後、養和年間(1181)に大鵬城主 佐藤庄治基治は豊前国宇佐八幡宮を奉還社殿を建立して武神八幡大神を祀り幾多の武器を寄進し武運を祈願した。時は降って宝永7年(1710)城内から現在地に再建され、明治4年に村社に、同じく23年には郷社としてこの郷の総鎮守に列せられ、深い信仰と尊崇を集めた。
秋の例大祭は、けんか祭りの異名をとり、勇壮な飯坂太鼓とともに全国にその名を馳、大勢の参拝、見物客で賑わう。
社殿(本殿拝殿幣殿)は江戸中期の雰囲気を伝え古式を保つ屈指の神社建築様式として、その遺構保存のために平成2年11月6日福島市指定文化財第55号(有形文化財 建築物)に指定された。

by shingen1948 | 2007-10-24 04:39 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)