飯坂古舘は伊達朝宗第四子為家が築城
2007年 10月 23日
鎌倉時代の話で、1192(建久3)年、征夷大将軍に任じられた源頼朝は日本史上最初の武家政権として鎌倉に幕府を開くのだが、その3年前の1189(文治5)年、頼朝は義経を討伐するとの名目で、奥州に兵を進める。しかし、頼朝の目的は、義経をかくまったことを口実に、奥州に絶大な権力をもって君臨する藤原氏を滅ぼし、奥州を手中に収めることだった。この奥州征討に追従した一人、常陸入道念西と子息達(為宗、為重、資綱、為家)が、石那坂の合戦等で勲功をたてた。その功により、頼朝から伊達郡の地を賜り、自らの姓を「伊達氏」と改姓した。この常陸入道念西が、伊達氏の祖である伊達朝宗である。

探し物をしていて、福島民報社刊の「福島の伊達氏」という小冊子を見つけた。NHKドラマ「独眼竜政宗」の放送を機に、先に紙上に連載されたものをまとめたものだ。
その中に、最近の学説で念西自身は戦闘に参加せず、戦ったのはその息子たちといわれていることが記されている。この4人の息子のうち、4男とかかわることに出会っていたことを思い出した。飯坂の探索をしていて、古館というところの案内板だ。以下のように記されていた。

城跡 古館
この舘は文治5年(1189)石那坂の合戦後、伊達朝宗の第四子、伊達四郎為家の築いたもので、四代伊賀守正信の時、飯坂氏と改姓し、代々伊達氏に仕えていたが、14代飯坂右近将監宗康、天正17年(1598)に亡くなってから、その娘飯坂局が伊達政宗に従って米沢に移るまでここに居住したのであります。
飯坂史跡保存会
けんか祭りで有名な飯坂の八幡神社は、この事と無縁ではないと想像すると、また楽しみが増す。