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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川八幡神社

 梁川八幡宮は、伊達氏ゆかりの神社であるとことは知っていたが、初めて立ち寄った。

 ここは、八幡神社と竜宝寺の境域で、福島県指定の史跡及び名勝「旧梁川八幡宮並びに別当寺境域」になっていて、案内板が建っている。それによると八幡宮の変遷についての概略は以下のようだ。
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 伊達持宗が、梁川城築城の際に、高子ケ岡に勧請したとされる八幡宮と城の鬼門の阿武隈川河成段丘上に祀られていた若宮八幡と合祀されて伊達氏の氏神様となった。伊達稙宗が凍桑折西山城に移る際、西山に移されたが、伊達氏が米沢に移った後、再び梁川にもどされた。更に、伊達政宗が仙台城に移る際に、ご神体が仙台城下に移され川内に移された。

 ここの景観については、以下のように説明されている。
a0087378_52648.jpg 「伊達家文書」には、かつて広大な境内地の中に若宮八幡、弁天堂、三重塔、二王寺な堂と塔別当、滝沢坊など多くの建物があったと伝えられています。当時の放生池であった観音堂の池、鳥居の南にある厳島神社の池、三重塔礎石等現存しており、中世伊達家の鎮守社景観をよく残している。
福島県教育委員会
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 神社の周りは、木々がうっそうとしていて、趣のある鐘搗堂、そして池などで心落ち着く。
 説明にある伊達持宗は11代で、梁川築城は1406年。その後、1523年(大永3年)に第14代伊達稙宗が奥州守護職に任命され梁川城は奥州守護府城となるが、天文元年に伊達稙宗は居城を桑折西山に移す。この時に梁川城には伊達稙宗八男の宗清が入城し、梁川氏となっている。第15代伊達晴宗は天文17年(1548)には居城を米沢に移す。慶長8年(1603)には第17代伊達政宗が、仙台城を築城する。現在ご神体は仙台市川内亀岡町に鎮座する。

 この梁川の神社には、あの17代伊達政宗も天正10年(1582)出陣に際し戦勝祈願を行っているという。また、13歳の時、この地で、三春から愛姫を迎え入れたと伝えられているという。神社の前には案内板があって、政宗初陣祈願について、以下のように[山岡荘八「伊達政宗」より]の描写の抜粋が掲げられている。
 政宗誕生の永禄10年(1567)父輝宗は、桑折西山から亀岡八幡を梁川に奉還し、梁川八幡と合祀し再建する。
 天正10年(1582)4月1日16歳になった政宗は、父輝宗とともに梁川八幡に初陣の祈願を行い伊達家累代の悲願であった仙道制覇の夢を託した。祈願を終えた政宗は相馬氏攻略のため阿武隈川を下り金津へと兵をすすめていく4月26日金津を陥し入れ、ついで丸森城を6月3日には破竹の勢いで金山城を攻めこれを陥落させた。伊達政宗が指揮する軍勢は意気まさに天をつくの感があったのである。
 その6月3日の前日織田信長が明智光秀のために本能寺において命を奪われ世は大混乱に陥っているときであった。
 6年後天正16年5月政宗は再び戦勝のお礼参りをする。

  なお、ここの別当寺である竜宝寺が、信夫33観音の33番目の満願の寺である。
by shingen1948 | 2007-10-21 05:33 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)