地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高子ケ岡の「亀岡八幡宮」

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  伊達家発祥の地である高子ケ岡にある亀岡八幡宮の鳥居は、コンクリート製で、趣はない。しかし、伊達氏の本拠地が変わるたびに還宮されたという八幡宮の最初の八幡宮という思いで眺めることで重みが増す。




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  その八幡宮の鳥居をくぐると、目の前には石塔がいくつか建っている。









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その少し左側にずれた所に細道が延びている。坂道が急になるところで石段が山頂に向かって延びる。両脇は果物畑だ。







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石段を登りきった所に社がある。これが、八幡宮だ。









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付近に、石搭や稲荷があり、その脇道を進んでいくと山頂につく。









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そこに、「高子20境」丹露盤という案内板が建っている。その絶壁から、地域を一望できるながめのいい所だ。

阿武隈急行全線開通20周年記念事業として行なわれた伊達家のふる里ウォーキングの資料に、伊達市教育委員会生涯学習課提供の以下の名勝「高子20境」の説明があった。


「高子20境」というのは、江戸時代高子村の文人熊阪覇陵(1709~1764)が、高子村を中心に景勝地を20箇所選び漢詩を詠じて自ら楽しんだことに始まる。中国の都長安の東にあった「輞川(もうせん)20境」にならって名付けたのであった。
覇陵の死去後、その子台州は、天明8年(1788)父の追慕集として「永慕編」を編纂出版した。その本は、熊阪家の由緒、覇陵の業績、20境の位置、20境の図などから成り、ここから高子20境の名が全国に広まることとなった。

伊達家発祥の地となった高岡の山頂にある断崖は、舘の見方からすれば、絶壁は守りとして最適であり、景勝の見方からすれば、地域を一望できる絶景の場所となる。
かつての古戦場となった地域を一望しているという思いで景色を眺める。
by shingen1948 | 2007-10-20 05:58 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)