地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「殯(もがり)の森」鑑賞②~殯(もがり)とは

「殯(もがり)の森」の殯とは?
映画の最後に、「敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間のこと/またその場所の意」と説明されていた。
朝日新聞2007年6月文化欄で、この概念について取り上げていたのをメモしておいた。

帝塚山学院大学の及川智早教授(日本上代文学)の考え
「喪」は、「死→ 殯→葬」の儀礼全体を指している。その中の、「殯」は「もはや蘇生しないと確かめた後、荒ぶる魂にならないように鎮めるのが主な目的」だが、火葬の広がりと、死→葬の間が短くなって、殯はすたれた。

国立歴史民俗博物館の山田慎也助教は、
  遺族にとって、近親者は亡くなってもただちに死者になるわけではない。葬送や喪の期間は生者が死者になっていくプロセスだ。

 そして、「他界観失われた今」という観点から、この記事は以下のように考察していた。
最近は宗教を背景とした明確な他界観が失われ、葬祭業者が企画するグリーフワークの集まりに参加する人も増えてきた。死者をまつるモデルが簡単には見つからずに人々は模索している。
あわただしく通夜や葬儀をとりおこない、近親者だけでの別れの時間はほとんどない。死が愛するものを連れ去った後、私たちはそれぞれの殯の森をさまようほかないのかもしれない。

 実際に体験をした者にとって、このことは実感である。
近親者であればあるほど、形式的な儀式の準備対応に追われる。死が愛する者を連れ去った悲しみに浸り、感じることができない。だから、もはや蘇生しないと心の底から感じ、その魂を送り出そうと決意し、送り出された魂の旅立ちの心まで思いやるということができにくくなっている。
このことを思い悩み、さまようことは、人間としてまっとうなことで、大切なことなのだということを心の中で確かめる。

  「霊魂観とのかかわり」については、[「殯(もがり)の森」鑑賞③~33という数]に書く。
by shingen1948 | 2007-10-15 05:07 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)