地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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深堀の温泉街跡を訪ねる

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土湯こけしの興味から、岳こけしの木地屋さんを確かめたいという気軽な気持ちから、案内板にしたがって、路地に入った。
そこには、うっそうとした森の木々の間から光が差し込む幻想的な風景があった。左側の石垣は趣のある雰囲気を演出している。車に乗っているのに、森の小道に迷い込んだ気分にさせられる。

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やがて、道は突き当りで、左右に分れる。めあての木地屋さんは、右の道との案内だが、左の小道も何かありそうな雰囲気を醸し出す。
ここは、岳温泉三番目の地「深堀温泉跡」だと気づく。

岳温泉のホームページによると、岳温泉は、古くは湯日温泉といい元湯近くにあった。それが、江戸時代(文政8年~慶応4年)に引き湯して十文字岳温泉の地に移した。そして、明治3年(1870)~明治36年(1903)そこから深堀の地へと場所を変えている。

深堀温泉については次のように説明されている。
現在の岳温泉に隣接した西南部一体は江戸時代に深堀村と称し、湯日温泉を支える物資補給基地として栄えた地区であった。十文字温泉に移ってからは寂れていたが、前記温泉焼失の3年後に再建の地がここ深堀に決定したのである。

明治3年8月新しく湯樋管を開設し復興した。しかし明治維新の動乱期でもあり、9件の小さい旅館と2つの共同浴場などの素朴な温泉場であった。それでも近在近郷の湯治客に親しまれていたという。

明治36年10月20日午後1時30分。旅館からの失火により温泉街は全滅した。そしてその地には再建されることはなく、現在は往時を偲ぶ石垣のみが残されている。

十文字温泉を訪ねたことについては、「十文字温泉を訪ねる」で書いた。
安達太良登山の帰りに、岳温泉の湯元を確かめたことについては「岳温泉の湯元の調節日」で書いた。





昨年の「今日の記事」
「結城登美雄氏の話に納得してきました」
本当はもっと深いのだろうが、自分では、農山村の生活を見詰め、よさを生かして生活する哲学が分ったような気がした。
 自分の生活環境では実践は難しいのだが、今でも以下が大切と思ったことは、時々思い出そうとしている。
① 自給の畑
② 茶のみ
③ 結い
④ 六分の完成度で満足
⑤ 食は命の薬であること
by shingen1948 | 2007-10-08 04:54 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)