人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

飯坂温泉:飯坂こけし②

 先の「木人子室」というこけしのホームページによると、飯坂こけしにはもう一つの系統があるという。自分としては「土湯こけし」にこだわっての「飯坂こけし」の探索ということだったが、飯坂の探索としての「飯坂こけし」ということで、ここまで広げて確認することにした。

もう一つの「飯坂こけし」は、弥治郎系のこけしとのことだ。「木人子室」によると、次のような概略になるようだ。

明治二十三年に、弥治郎出身の毛利栄治が、八幡神社門前の佐藤応助三女クラに婿養子に入って木地屋八幡屋を開業したという。佐藤応助という人は、義太夫に長じ、踊りの師匠までやった人という紹介まである。
a0087378_45226.jpg
  そこで、中村屋辺りの探索と共に、八幡神社の門前辺りも探索するが、木地屋八幡屋を確認することはできなかった。この地に芽生えた二つの伝統こけしは、この地ではもう無くなったのかもしれない。確認不足かもしれないが、今のところはそう思っている。

この日の探索は「飯坂こけし」については、収穫はなかったが、八幡神社の北側にある鯖湖湯の石碑や、その奥にある飯坂大火の記念碑を確認したりできた。また、八幡神社と鯖湖湯との位置関係について、自分の感覚のずれを修正することもできたという収穫はあった。





昨年の「今日の記事」
母成峠の戊辰戦争会津兵士戦死者の墓
戊辰戦争のニ本松落城から会津への路は、大玉村経由母成峠越えである。
昨年は、その道順に会津を訪ねた。書いたことの中心は、村人が政府の命令に気兼ねしながらも、会津藩の戦没者の遺骸を埋葬したことだ。

母成峠の有料道路だったところが解除されたのは、ここを通ってちょっとしか経たなかったことについて、ちょっと惜しかったという気持ちも……。
by shingen1948 | 2007-09-27 04:54 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)