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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯温泉と高湯温泉③:薬師様

温泉は、湯治場として健康に関する効能も大切な要素である。当然、湯治場としての地位を確立することと薬師の信仰とが結びつく。

土湯の薬師様の事情は、土湯の「薬師こけし堂」の説明で確認し、高湯の薬師様は、「高湯温泉四百年史」で確認する。
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土湯の「薬師こけし堂」の説明では、この山の宗教的な位置付けと、太子堂の説明と、薬師堂の説明が、渾然と溶け合っている。
最初の段落で、太子堂に祀られている聖徳太子と、薬師堂に祀られる薬師瑠璃光如来について説明される。
そして、土湯の薬師堂を温泉街から太子堂の経堂に移転するのは、大正2年だが、その理由は水害のためという。
その経堂に仮住まいの薬師堂を昭和49年に現在地に再建し、木地業の始祖も一緒に祀ったという。太子堂と薬師堂が合わさったというところがいい。

もともと日本人の基本的な考えは、尊いものに区別無く、神も仏も融合させてしまう論法でいいはずだ。神も仏もなくごちゃ混ぜにして信心してしまえばいい。これは、自然な考え方だ。
ただ、ここで抜けていると思うのは、明治維新政府の打ち出した神仏分離政策の影響だ。
薬師瑠璃光如来が、廃仏毀釈の被害を受けているはずなのだ。そのことと、薬師瑠璃光如来が存在しないことと関係するかもしれない。経堂という仏教関係の建物に仮住まいということも、そのことの影響が考えられる。再建される建物が、神社風であるというのも……。

「高湯温泉四百年史」によると、高湯の薬師堂が、歴史として建立されたのは、寛政6年(1794)のようだ。安達屋三四郎・吾妻屋八郎兵衛・信夫屋五右衛門が施主となり、渡邊勇吉という大工が建立したという。伝説的には、薬師様は慶長15年(1607)の開湯と同時に菅野国安によって安置される。

  この薬師様の危機は、明治新政府の行なった明治元年の神仏分離令で訪れる。
高湯でも、廃仏毀釈の動きが高まり、仏像破壊の動きが起きる。薬師如来は他の場所に隠して難を逃れたが、それ以外の仏像は破壊されたという。
薬師堂自体の撤廃も逃れるため、お堂を社殿とよび、名称も温泉神社に改められたとのこと。再び、薬師如来が薬師堂に安置されたのは、大正9年12月23日とのことだ。

  この時、温泉神社は、湯殿神社に併合し、温泉神社を名乗ることになる。ちなみに、現在の御堂は昭和52年に建立されたという。

  明治維新政府の打ち出した神仏分離政策は、神社から仏教的な色彩を一掃し、神と仏を区別するというもので、必ずしも廃仏毀釈が目的ではなかったという。しかし、実際にはその影響はあちこちに残しただけでなく、心のよりどころにかかわることで、大きな影響があったと思う。

高湯温泉は薬効をメインのPRとしている分、薬師如来の位置付けは重要であったと想像する。土湯温泉は、伝統こけしをメインのPRとしている分、聖徳太子との関連が重要であったと想像する。

薬師こけし堂の由来説明板

当山の鎮守は聖徳太子におわしまし、推古朝の御字近臣秦川勝に命じ太子堂を創建され給うと伝う。太子は深く仏法に帰依され普(あまね)く本邦に教法を広め給い、とりわけて薬師瑠璃光如来信仰の志篤く、法隆寺に薬師三尊を祀り給う。当山は太子垂迹の語本願を訪ねて顕現し奉り、温泉の功徳を持って病苦を除く衆生済度のご本尊におわしませば、土湯温泉発作の縁りの地湯元下の町に薬師堂を営みて鎮護ましませに、大正2年8月27日水魔の災厄により御堂流亡し、経堂に仮遷座奉りて今日に及ぶを、御堂を再建してここに奉祀す。ときに昭和49年11月21日なり。
また木地業の始祖と崇め奉る推喬法親王をも併せ祀る。法親王は55代文徳天皇の第一皇子にして、所以あって皇儲を第4皇子推仁親王に譲り給い、仏門に帰依されて素覚法親王とも尊称し奉るを草創し奉りて世に広め給うと伝う・「土湯こけし」の根元もまたこの流れをくみ、温泉の効験と共に育まれて今日の隆昌をみる。
薬師瑠璃光如来は温泉守護のご本尊にして、推喬法親王は名湯なるこの地に栄えし木地業の始祖たり。ここに天地の根元渾然一体と融和するをもって一堂に祀り、薬師こけし堂と尊称し奉る。
平成元年10月
土湯山興徳寺
土湯温泉観光協会




この日も昨年の「今日の記事」は、二つの記事だった。

昨年の「今日の記事」
「タイトルについて~風の人:シン」
 仕事も生活も、地元という感覚でやってみたいという願望があったのに、力不足から、そういう立場にはさせてもらえなかった。しかし、弱い自分がいて、そういった自分の立場をしっかり認識しないと、安定した心理になれない自分がいた。

  「心の原風景」から離れて生活する自分の立場は、言い方によっては「根無し草」である。それを、あえて「風の人」ということにこだわった。
外からの視点で見ることのできる立場の自分に自信を持ちたかった。「心の原風景」に浸りながら生活できる人には、その土地のよさを、当たり前だとして見失ってしまう欠点もあるはずだ。自分は、それを再発見することに貢献できる立場だと言い聞かせる。自分が納得した時、自分の存在感が確認できるという思いだ。
  今も言い聞かせ続けている。

昨年の「今日の記事」
昔の道路標識と講のPR
本当はこれを見つけた時は、うんと興奮している。飯坂古道を探索中に、自分で発見したものだ。歩道と車道の分離帯の中に埋もれているのもよかった。見つけるという気負いの無い中で、ふっとみつけたことの興奮だ。
by shingen1948 | 2007-09-24 04:55 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)