高湯温泉と土湯温泉②:戊辰戦争の悲劇
2007年 09月 23日
昨日は暑かったので、土湯温泉の中の湯で一風呂浴びて、太子堂付近の散策をもう一度確認した。
太子堂から会津への旧道を確認する。旧街道と山神社の標示板には、以下のように説明されている。
旧街道と山神社(祭神 大山祇命・木花咲耶媛)
土湯から会津へ通じる街道は、この山神社の前を通って、ほぼ現在の送電線の下に沿って野地温泉を経て土湯峠に抜ける重要な路線であった。土湯のいでゆで休息をとった旅人や運送業者は、この太子堂や安政2年(1773)建立の山神社に詣で、道中の安全を祈った。急坂な道を5キロ程登ると陣場という地にいたるが、そこに山神社奥宮の石祠がある。ちょうどここは土湯峠との中間地点にあたる。この旧道は、115号開通後は寂れて迷いやすくなり、現在は廃道になってしまった。
戊辰戦争で、会津軍はこの道を撤退するのだが、その時に、情け容赦なく火を放つ。
そのことを、「土湯の太子堂へ行ってみて②」で以下のように記述した。
慶応4年(1868)8月2日、戊辰戦争の折りに、会津軍はこの村を撤退するときに、西軍の拠点になることを恐れて、土湯の全村に火を放ったのだが、この道を撤退していったに違いない。
村には73軒の家があったが、71軒が焼け落ちたという。
高湯温泉でも、戊辰戦争の焼き払いによって壊滅的なダメージを受けるということが起きている。そのことを、高湯温泉400年史は、以下のように記述する。
元禄以降高湯温泉は、薬湯として名高かったので訪れる人が多く、2~30棟の宿屋で賑わっていました。
それが中断するのは、戊辰戦争に巻き込まれたからです。新政府軍の侵攻に危機感を抱いた米沢藩が、防御を固めて国境の警備をやりやすくするために、高湯温泉を焼き払ってしまったのです。わずかに安達屋の蔵一つだけ残して、焼け野原と化したといわれますから、哀れむべき惨状を呈するにいたったのです。(中略)街道筋にあたる集落や、休憩地になりうる温泉地は、情け容赦なく火がつけられたのです。
土湯温泉は、会津藩の撤退であり、高湯温泉は、米沢藩の撤退であるという違いはあっても、同じ悲劇を味わっている。
昨年の「今日の記事」は、二つあった。一つは「タイトルについて」であり、もう一つは、「早寝早起き朝ごはん運動の推進について」であった。
昨年の「今日の記事」
「タイトルについて①~大人の「総合学習的生活」
タイトルの「総合学習的生活」ということについて解説している。
仕事の中でも、生活の中でも、自分の「立場」から物事を考えている自分がいて、窮屈だった。それでも、そのこだわりから開放できない自分がいて、疑問を感じながらも、公的には脱皮することができないでいた。
理性でなく、五感をもとに感じることを大切にしたい。自分の感性を信じたい。それを大切に育みながら生活をしていく感性を取り戻したい。そういった思いが基盤にあった。
きおって表現しているようにみえるが、本音である。
ブログは、ある意味「虚構の世界」である。虚構だから真実に迫れる。そこを大切にしたいという思いが、今は変わりないどころか、強まっている。縛りから開放される心地良さが今は実感になっている。
昨年の「今日の記事」
早寝早起き朝ごはん
早寝早起き朝ごはん運動を公的なレベルで推進するようになっていることに関して、問題がないのか心配している。個人の問題を公的なレベルに持ち上げようとする動きにストップをかけようとする動きがみられない。これは、問題が無いのではなくて、ニュース操作の巧みさに乗せられていることを感じている。
しかし、間違いなく推進は実施されるのだが、本当は、この運動で推進しようとしても、できない人もいるんだよという控えめな情報を見つけた。
せめて推進する人には、こういう人たちの配慮も忘れないでほしいと思ったが、提案してみると、それを逆手に、ずるさを発揮する人も出て、そのみきわめもしなくてはいけないということになると気がつく。
やれという人は、いいが、やれといわれて実施する人は、やれといわれたとおりにやる分には、簡単だが、良心的であれば、とてつもなく難しい問題を抱え込むと思った。
やれという人が、単純であればあるほと、実施は、複雑な問題になるとの思いをぶつけてみた。
興味深く拝見致しました。
土湯街道は、会津へ出かける時には、いつも通るのに散策をする機会がありませんでした。今回散策してみて、「こけしの里」を実感しました。
現在、半沢氏のマップに頼っていますが、このマップでは、川上温泉付近には、1656年の開村石碑・大正時代の堤防記念碑・1905年の洪水山崩れのメモがあります。いつか確かめたいものだと思っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ds6s-wtnb/oshiro/kaisetsu/fukushimaken/c_fukushima02.htm
詳細は、まだ分かりませんが……。
探索している中に「人の存在の実感」をいただきました。