人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

太子堂に行ってみて⑧~伝統こけしとしての「土湯こけし」②

 自分には、伝統こけしについて、そのよさを感じる感性がない。伝統こけしのコレクションは、今でいう「おたく」の世界ではあろうが、もう少し近づきたい。
  伝統こけしについては、誰がコレクターかということが大切なようだが、あくまでも工人にこだわって、資料を探す。
a0087378_504736.jpg
 岳温泉のこけしは新作だと勝手に思っていたが、そうではないらしい。
岳温泉伝統こけし・木地玩具「木地屋」のホームページhttp://www.kokeshi.jp/
に、作品の紹介がある。こけしの形の型別に紹介されているのだが、これが、系列とかかわる。

  弁之助型というのは、西山弁之助のことで、土湯湊屋の系列を作風に残す人という。今朝吉型というのは、佐久間由吉から平栗馬吉へ伝承されたこけし作りが、伊藤今朝吉に受け継がれたものだ。

  佐久間由吉は、土湯木でこの創始者亀五郎の嫡流とされる方で湊屋の系譜のようだ。福島で木地挽きをしていたが、明治32年に、半年ほど岳に来ていたときに、豆腐屋の息子の平栗馬吉に手ほどきをしたらしい。明治35年、朝吉が20歳の時にこの馬吉から手ほどきを受けたという。そして、明治39年には、お土産屋の松野屋を開業して轆轤を据えたという。
 この松野屋で、土湯の西山弁乃助の作品も取り扱っていたので、その縁で、弁乃助の三男弥三郎が松野屋の職人になったという。
  このあたりが、岳こけしのはじまりの事情らしい。

一次型というのは、伊藤今朝吉の息子一次に引き継がれた型だ。日光で大物挽きを修行し、地元に戻って小物挽きを今朝吉から学んだ。

  つまり、岳の伝統こけしは、土湯の湊屋亀五郎の系譜であり、亀五郎の孫西山辨之助、亀五郎の曾孫由吉の明治期の作風を受け継いでいったということである。
湊屋は土湯こけしの本流でありながら、土湯におけるこけし製作の基盤を完全に失うのだが、それは、西山浅之助の代で、明治三十六年の水害で財を失って土湯を離れざるを得なくなって、兄弟皆各地に散っていったということのようだ。

 土湯で活躍するこけし工人を、伝統こけしの系列でみたときに、湊屋の系列が消えていたと思ったが、そうではなかった。土湯からは撤退して、別の所で息づいているということらしいことが、資料の探索でわかる。
by shingen1948 | 2007-09-19 05:06 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)