地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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太子堂に行ってみて⑦~伝統こけしとしての「土湯こけし」

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  太子堂の帰り道、ここは確かにこけしの里だと実感した。
  こけしは、子どもへの日常の玩具として、湯湯治の客の土産であったはずという認識だったが、1960年代から、美術品として、伝統玩具の価値が見直されてきたという経緯があるようだ。
  ちょっと堅い話になるが、この観点からもまとめておくことにする。

土湯こけしについて、人間発達文化学類(経済学系)初沢敏生が「福島県土湯こけし産地の存立基盤の変化」(福島大学研究年報第2号2006.12)と題して、この伝統こけしの観点から、存立基盤を考察していた。

  論文の中から、勝手に土湯の工人の数の推移を読み取る。
  氏の調査当時(2006年)は12人としている。論文で引用してる、1973年から1978年ごろの伝統こけし工人の考察表では18人が載っている。1990年には27人の工人だったという記述がある。
これは、予想通り、伝統こけしの衰退の傾向を示すものだと思うし、これからも同じような傾向を示すものと想像する。

  この論文では、土湯こけしの伝統の継承を、店と師匠の観点から定義して状況表を掲げている。そこで、この表を参考に、土湯温泉観光協会が掲げる11人を照らし合わせてみる。そうすると、伝統こけしの状況を実感的に描けると思った。
 
  年代は、工人になった年、系統、自分の師匠と仰ぐ人である。※は、系統と師匠が別系統であることを示しているという。

阿部 計英氏 1953年 本流松屋 父阿部広史
今泉 源治氏 1957年 山根屋  阿部広史※・佐藤佐志馬※
近野 明裕氏
斎藤 弘道氏 1957年 西屋  佐藤正一(祖父の弟子)
阿部 国敏氏 1991年 松屋  陣野原幸紀※他
佐藤 俊昭氏 1948年 加藤屋  佐藤佐志馬
陳野原 幸紀氏1970年 西屋 斉藤弘道
徳永 慎一氏 1973年 西屋  西山憲一
渡辺 隆 氏 1980年  西屋  渡辺等(父)
渡辺 忠雄氏 1971年 西屋  渡辺定巳(父)
渡辺 鉄男氏 1973    独学

整理してみると、湊屋の系統が消えていることが分る。

この論文では、12名の工人のうち8名の聞き取り調査をして分析しているが、自分としてはこの具体的な現状調査に興味が沸く。もっと詳しいのだが、要約すると以下のようなことだ。

  専業でこけし工人をしているのは、3人だけだという。残りは兼業だ。また、広範囲に販売網を広げているのは1軒で、自分の店を持っている方は2軒、旅館を販売の拠点にしているのは3軒とのことである。大部分は、個人相手の取引だという。

伝統こけしの観点から考察した場合、終戦から1950年代は、近代こけしの流れで、観光地化とお土産こけしが主流であったのが、1960年代から収集家によって伝統が重視されるようになった経緯の影響が大きいということも分る。

伝統こけしの基盤は弱体化し、工人の数と生産量は減少傾向にある。温泉での販売は減少し、収集家用の製品は増大するという傾向の中で、土湯温泉は、地元客や日帰り客に重点を置いている。こけし販売の観点からは、地元販売は伸び悩むことになるだろうことは明らかだ。

  氏は、それでも、販売先としても、存続基盤の場としても土湯ということを重視することが大切であることを前提にし、以下の変化への対応をどうするか検討する必要があるとしている。

  新しい工人の参入、納める場所として、旅館・個人・自分の店・お土産店の重点の置き方、技術伝承について、系統内修行のあり方とその柔軟性を考察すること。

 最初の記事に書いたことの繰り返しになるが、太子堂は、工人たちの心のよりどころというのが似合う。ここでは、土湯こけしにかかわる方々が、信仰の中心地としてのシンボルにしたところであろうと勝手に想像していたが、そのことが確信になってきた。
by shingen1948 | 2007-09-18 04:43 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)