土湯の太子堂へ行ってみて②
2007年 09月 13日
階段脇の道路は、山神の所までいき、そこを右に折れる。そして、そのまま山の中に入っていく細道がある。
山神と会津街道の標示板があって、その位置を教えてくれる。
脇に書いてある説明によると、この街道は、115号線が開通して今は廃道になっているが、土湯から会津への古道という。この道は、送電線の下を通っていて、野地温泉まで続いているという。
これが、会津街道の古道らしい。
慶応4年(1868)8月2日、戊辰戦争の折りに、会津軍はこの村を撤退するときに、西軍の拠点になることを恐れて、土湯の全村に火を放ったのだが、この道を撤退していったに違いない。
村には73軒の家があったが、71軒が焼け落ち、太子堂の上にあった会津藩への年貢米倉庫も焼け落ちたという。防火水槽の辺りだろうか。