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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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康五郎は、客自軒の若旦那

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 昨日、浅草宇一郎戸の関係で、自由民権運動家の井上康五郎を浅草屋である現明治病院にプロットした。しかし、話はもっと単純で、井上康五郎は、紅葉館の主人であり、現紅葉ガレージにプロットすべきだったようだ。

 井上康五郎の経歴について、「風雲・ふくしまの民権壮士」では、以下のように紹介している。


 
 井上嘉兵衛の長男で当時28歳。彼の住んだ北町58番地は福島の遊里街で、彼の義父浅草宇一郎は、十手を預かる仁侠人で有名な遊郭兼料理屋の主だった。明治15年の秋、福島事件が起こると無名館に出入りしていたため、田村鉄三郎と井上康五郎は三春の僧侶岡大救らと福島警察署に逮捕され、厳しい取り調べを受けて若松送りとなった。
a0087378_605936.jpg(※ 福島警察署は、元エンドーチェーン跡地の所にあったようだ)

 いくつかの資料を読んでいくと、井上嘉兵衛というのは、「客自軒」の主人であることがわかる。そして、井上喜兵衛の妻であるかねが浅草宇一郎の娘ということだが、養女であったらしい。この夫婦とも、宇一郎は養子縁組をしている。井上康五郎は、その夫婦の長男であるとのことだが、これも養子であるらしい。彼は、「金沢屋」の主人であった斎藤浅之助の妹であるシウと恋仲になるようだ。
 金沢屋では、仁侠人でしかも世良修造の殺害にかかわった浅草宇一郎とのかかわりから、結婚には反対だったらしい。

 つまり、康五郎は、客自軒の若旦那であり、よく自由民権の演説会場として使われていた「尾上座」の小屋も経営していたことになる。

 だから、田村鉄三郎という写真家は、確かに無名館に出入りしていたことが逮捕の理由だろが、康五郎が逮捕されたのは、自由民権シンパとして、料理屋を提供し、演説会場を都合してやったと考えた方が自然であると思う。

 専門的には、資料の確定などが必要なのだろうが、状況だけでそう想像できるのが素人のよさだ。また、生身の人間として活躍する人々やその子孫の方々と直接接していれば、個人の人格の尊厳を考慮し、安易に踏み込めないこともあるだろう。知っているための躊躇である。
 しかし、私にとっては、歴史上の人物としての感覚に近い。

※ 投稿時点で客自軒と無名館の名称混乱があり、修正する。
by shingen1948 | 2007-08-29 06:15 | ◎ 会津への路(自由民権運動) | Comments(0)