地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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最初の福島県会開催を確かめる

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 民権壮士の斉藤又郎の墓がここにあるとの事だったので、昨日の散歩は、本法寺からスタートした。この寺、先に記事にしたのは、飯坂古道のスタート地点としてだった。
  今回は、墓を確かめる興味もあって、裏にも回ってみたが、お墓には行けそうにもなかったのであきらめた。裏の細道を南に進む。奥州街道で、民権壮士とのかかわりで旅籠の位置を確かる。そのまま進んだら稲荷公園の裏に着いた。世良修三の墓の鍵はあけられていた。その後、自由民権新聞発行所跡、無名館跡を地図と照らして確かめて、県庁まで進んで散歩を終了した。

さて、福島では、三島通庸が鬼県令として有名だが、福島では全国的に見て自由民権運動が盛んであったとこととの対比であるようだ。「風雲・ふくしま民権壮士」によると、抑圧があって、自由民権運動が盛り上がったというよりは、全国に先駆けた自由民権運動があって、藩閥政府は、それを抑圧しようとしたのが、対立の始まりのようだ。
選挙の実施や県会の開催も全国での動きよりも早かったようだ。
福島では、明治6年には、常光寺を仮県庁にし、明治10年には模擬県会が行なわれている。そして、明治11年(1878)には、県会が開かれている。全国に先駆けて開催された最初の県会は、長井山「西蓮寺」で開かれたらしい。
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長井山「西蓮寺」は、慶長19年(1614)創建で、浄土真宗(一向宗)の寺である。
奥州街道本町の米沢街道口から北に入って直ぐ右手の寺である。昭和30年に防災道路のため、強制疎開され、墓地の半分は、岩谷に移転し、戊辰の役で戦死した官軍の筑藩西島新蔵の墓も岩谷墓地に移転したという。昔はこの辺りは、寺が並んでいたところであるようだ。

半沢氏のフィールドワーク地図には、「西蓮寺と自由民権運動」として、以下のメモがある。
福島県は全国各県より半年も早く「県民会規則」を公布、これをもとに明治11年6月1日ここ西蓮寺を会場にして県会を開会。(全国各県の最初の県会開会は翌12年の6月であった。福島県は1年も早くさきがけて開かれた。) 三新法、府県会規則による第一回県会も西蓮寺で開かれた。

また、この時に話し合われた内容について、半沢氏の「福島の自由民権家の事績を探る」フィールドワークのページに、それと関わる記載でわかる。
伏拝から蓬莱団地に抜ける旧4号国道に矢印をつけ、以下の記載がある。
1878年(明治11年)6月1日全国より1年早く先駆けた県議会での県提出議案第1号「国道線築造ニ付議件」伏拝~杉田間の国道建設案に対して住民負担を軽くするための修正案提出など官民一体で協議(於西蓮寺)

 福島では、昔の風景や町並みが残っていないので、フィールドワークを楽しむのには、資料を元に下調べしないと想像しにくい状況であるのは残念だ。
by shingen1948 | 2007-08-26 10:54 | ◎ 会津への路(自由民権運動) | Comments(0)