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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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8月の忘れ物②:棺桶の蓋を見て

  今年の夏は、死者との語らい、その中でも特に、被爆に関することを考えた。その分、その他の事について書き落としているものがある。その中から適当に選んで記録しておくことにする。
 本当かどうかは分からない。人から聞いた不確かな話である。誰から聞いたのかも忘れたが、強烈に頭に残っている。
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 大塚山古墳の円墳の上には、石碑を建てた跡があり、しかもその石碑と思われるものは横たわっている。
 人づてに聞いた話だと、この横になっているものは、実は石碑ではなく、棺桶の蓋とのことだ。それを、誰かが、これは石碑だろうと善意でここに建てたのだという。
 もともとは、この蓋の石が、どこにあったかというと、この山の正式な登り口が西側にあって、そこに沢があり、それを渡る橋として使われていたものだという。
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 この棺桶の蓋の経緯を整理する。
 まず、誰かが古墳を盗掘した。そして、この棺桶の蓋を橋にするのに丁度いいと思って架けた。または、盗掘された後に、この棺桶の蓋は捨てられていて、それを見つけた別の人が、これを沢を渡る石橋にした。

 その後、物知りがいて、これは大切なもので、こんな橋にしておくものではないと思って山頂に運ぶ。権力か財力があって、運ばせたのかもしれない。そして、台座を作り、そこに石碑として建てて満足していた。

 ところが、この山が古墳だということで、学術的な調査が行われる。それによって、これは石碑ではないということに確定してしまう。それで倒されたのか、倒れたのをそのまま放置された。

だから、現状のように、横たわったまま放置されたというのが経緯だろうか。

 これを象徴的なこととみれば、地域を探索して見ているものが、どれかの段階ということもある。意味もなく放置された状態、誰かが意味付けしたが間違っている状態、正しい意味付けがされた状態、……。
 自分が積極的にかかわってしまうかもしれない。たとえば、独断で推定したことを独りよがりで決めてかかることだってある。それが一人歩きして、間違いでも真実らしく動き出しすこともあるだろう。
でも、道を歩いていく楽しみは、古い時代に入り込むために色々と想像を膨らませていくことだ。自分だけで楽しんでいるのには問題ないだろうと、勝手に決め込んでいる。



 息子がいうには、前方後円墳というが、前円後方墳かもしれないよ。そんなことを聞いたことがあるよという。
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 いわれてみれば、山頂は、円墳だ。




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 山頂から見下ろすと、確かに方墳の部分が後ろかな。

 素人同士の話、真実はわからない。それでも、充分に会話は楽しめる。


大塚山山頂近くの案内板
国指定史跡
昭和47年5月26日指定
会津大塚山古墳会津若松市一箕町
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会津盆地の東側にある比高30mの独立丘陵上に造られた柄鏡式の前方後円墳で、全長114mの規模を有する。
 昭和39年、市史編纂のために発掘調査が実施され、主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。
古墳の造営は4世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置付けられている。この被葬者は会津盆地を治めた首長と考えられ、その副葬品から当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたことが推定される。
昭和63年2月
会津若松市教育委員会

 なお、「会津地域の歴史」 簗田直幸著では、大塚山について、ここ二記載されている事の他、次のような説明がされている。
  この古墳は、南棺と北棺の二基の埋葬施設を持つこと。
  発掘品の三角縁二神二獣鏡は、東北で唯一の出土例であること。
福島県立博物館常設展で展示されている会津大塚山出土品も国指定文化財であること。
  更には、大塚山は、円墳・横穴古墳も近接し、大塚山城跡、中世居舘跡、会津大塚山窯跡なども存在して、遺跡の宝庫でもあることも説明されていた。
by shingen1948 | 2007-08-22 05:07 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)