「原爆神話の五十年(中央新書)」を読み返す:「ヒロシマナガサキ」⑥
2007年 08月 18日
ワシントンのスミソニアン博物館で、計画された「原爆展」をめぐって、アメリカでは原爆論争が再燃した。原爆が戦争終結を早め、多くの人命を救ったとする「神話」を考え直そうとする人々が、冷静な議論を提起したのである。結局「神話」の優位は揺るがなかったが、アメリカが持つ自己検証能力の健在ぶりは明らかになった。本書は、全米で幅広い声を取材し、戦後五十年を経て、なお隔てある日米の歴史観の源を探るものである。
この本を読んで10年経った。この「なお隔てある日米の歴史観の源」が、どうなっているかを改めて考えた。
「アメリカの原爆」はパールハーバーからはじまり、「日本の原爆」は広島長崎ありきではじまる。戦争で勝ってしまったアメリカは、原爆についての神話を作り出し、原爆は多くの命を救ったと考える限り歴史から取り残される。
このことと、日本の侵略戦争への確たる認識を踏まえない限り、広島長崎の声を誰にも聞いてもらえないということとの関わりについてである。
著者は「あとがき」で、平岡敬市長の平和宣言を取り上げる。そして、核兵器の開発と保有は人類に対する罪であると核廃絶を訴えた後の部分に着目し、広島は心から謝っているとする。
第二次世界大戦終結50年を迎えるにあたって、共通の歴史認識をもつために、被害と加害の両面から戦争を直視しなければならない。総ての戦争犠牲者への思いを心に深く刻みつつ、私はかつて日本が植民地支配や戦争によって、多くの人々に耐えがたい苦痛を与えたことについて謝りたい。
しかし、被爆を受けた最大の被害者の代表に「謝りたい」と言わせる構造に矛盾はないのだろうか。もっと大きな組織体としての日本を代表する方が、戦争の被害と加害の両面から戦争を直視し、総ての戦争犠牲者への思いを心に深く刻む。そして、広島長崎の組織体の代表は、純粋に広島長崎の被爆体験を訴える。そういった構造が必要なのではないかと考えさせられてしまう。
十年経ったのに、この本の提案が、新しく感じるのは残念というしかない。