「ヒロシマナガサキ」②:原発投下を正当化することに耳を傾けるのか
2007年 08月 11日
「朝日新聞」(2007.8.6.)は『歴史がわかる「原爆 こう投下された」』で、客観的事実を元に、原爆投下の経緯を記事にしていた。
その記事では、戦争を早く終わらせる正義の原爆投下とする論拠の危うさを指摘していて、説得力があった。要旨を自分なりにまとめておく。
指摘の一つは、トルーマンの7月18日の日記には、アメリカは、ロシアが参戦する前に、日本は倒れるという確信があったことが記載されているという。また、日本のいずれかの都市に原爆を落とす命令は、ポツダム宣言が出される前日の7月25日に出されていたという。
つまり、投下は既定路線であり、戦争を早く終わらせるためという理由は後から付け足されたことだというのだ。
次に、この原爆投下の戦略は、戦略爆撃と呼ばれる戦術の系譜である。無抵抗の市民を大量に殺害していく計画は、戦略の一つであるという。その系譜は、以下の経緯を辿っているという。
1937年 ドイツ軍によるスペイン・ゲルニカへの攻撃
1938年から5年間の日本軍による中国重慶爆撃
1940年 ドイツ軍のロンドン空爆
1945年 英米軍の独ドレスデン空爆
1945年 米軍による東京大空襲
1945年に、この戦略の延長線上に、「マンハッタン計画」のもと、原爆投下は計画されたというのだ。
更に、トルーマンは、後に7月28日の鈴木首相の談話のために、原爆を投下したと伝えたが、投下命令は、その談話の3日前に出されていたという。また、米国は、広島の一発目の威力を見定める時間をおかずに、長崎に2発目の原爆を投下している。対日参戦を目前にする原爆の力の誇示で、ソ連を牽制したと思われるということだ。
「しょうがない」発言の真意と、その発言を当初許していた指導者の考えが、ますます理解できなくなってくる。