線路沿いの細道を歩く①:松川事件
2007年 07月 25日

松川事件の現場に行くのには、「石合踏切」の左手にある線路沿いの小道を入るのだが、そこには、大きな石がある。これは自然石のようだが、道祖神である。何故か女泣き石というそうだ。

「石合踏切」を渡って右角に、石合南無阿弥陀仏道標が建っている。半沢光夫氏の歴史地図によれば、宝暦12年(1762年)に作られた東二本松道・北金沢を案内する名号道標である。立ち止まって眺めながら、事件後、乗客はここから松川駅に向かって歩って行ったのだろうか。それとも、線路の上を歩いて行ったのだろうかと想像する。

松川の塔公園も、ゆっくりと見た。ずっと天候不順で、この公園に行く道がぬかるんでいて、ゆっくり観察しようという気分になれなかったのだが、この日は、田の脇の草が刈り取られていた。あぜ道を使って公園に入り、ゆっくり眺め回せた。
ここから、この道を浅川の踏切まで進んでみる。松川事件とのかかわりでいえば、呉服屋に入った泥棒が通った道である。
事件前夜、金谷川にある呉服店に2人組みの泥棒に入ろうとして失敗し、翌日にも試みて失敗した。そのうちの一人が、この道を歩いている。9人の大きな男たちに出会い、その直後、事件が起きたという。
農作業の軽トラックが通っていった。普段ここを通るのは知り合いしかいないはず。不審な男が歩いていると思われたに違いない。