地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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松川を歩って確かめる

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22日は、雨が上がったので、松川駅から、八丁目宿や奥州街道、そして、松川事件などの関わる所を歩って体感的に確認することにした。
松川駅周辺を確認した後、八丁目宿から奥州街道に抜ける道まで旧道らしい所を歩く。陸羽街道の入り口を確認して、奥州街道をたどるが、今回は、松川事件とのつながりを確認することに重点を置く。
松川事件の現場付近を確かめた後は、淺川の踏切から奥州街道に抜けて、国道四号線と奥州街道が重なる所をたどり、伏拝から奥州街道をとおり、南福島駅までを歩いて確かめることにした。
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まず、駅周辺では、元の東芝松川工場を確かめる。今は別の会社になっているようだが、原型は当時のままだと思う。線路脇に建っているのは、引込み線を使って鉄道輸送をしていた名残なのだろうか。
  小さな駅の割には、線路が多い。これは、昔、この駅から絹の里である川俣に鉄道がつながっていた名残だろうか。
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  この工場は、以下の二つの視点から事件とかかわっている。

捜査当局は、国鉄労組と共に首切りに反対する東芝松川工場労組の共産党員らのしわざとみて20名を逮捕し、一審では死刑5名を含む全員に有罪の判決だったが、1963年には全員の無罪が確定する。

  東芝工場の事務課長補佐の諏訪メモは、被告のアリバイを証明するものだが、これは、東芝松川工場の団体交渉について記録された管理メモ。
被告佐藤一が、列車転覆謀略とされる時刻に、その場から10km離れたところで、クビ切り反対の団体交渉に出席していることを証明し、無罪を勝ち取ることになる。
このメモは、警察が東芝の押収品の中にあって、ある検事宅に保管されていたが、隠されていた。それが、倉島記者の地方版のスクープ記事によって、メモの存在が明らかになり、裁判に提出されたとのことだ。
by shingen1948 | 2007-07-24 04:54 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)