地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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今も怨念が漂う松川事件の現場

記憶の中にある松川事件のキーワードは、「階級闘争」、「冤罪」、「弾圧」といったものであり、無罪を主張する街頭のアジ演説である。
慰霊観音と殉職碑が建っているその脇に、松川事件から50年立ったことを記念して東日本鉄道労働組合の「謀略わすれまじ」の碑も建てられている。

謀略わすれまじa0087378_3525987.jpg

  時代の色に染まらない。時の流れに流されない。それは理性に導かれた民衆の抵抗を意味する。権力者は民衆の犠牲の上に君臨し「国家・国民のため」と大うその御託宣をくだす。法律を支配者のために作り、都合よく解釈し、国家の暴力装置としての軍隊・警察等を使い、公然たる弾圧、抑圧をくりかえす。
さらに非公然の不法の攻撃をしかける。
権力側に与しない者は、それを謀略と規定する。権力の広報部になり下がったマスコミは「過激派のしわざ」と煽り立てる。
この松川で何者かが列車を転覆させた。
三人の機関車乗務員が尊い生命を奪われた。敗戦をへた日本の夜明けは、暗黒の道へ引きもどされた。この1949年、共産党の「9月革命説」は、権力側に利用された。
松川謀略から50年、日本は新たな戦前史を形成した。平和憲法は瀕死の状態にある。でっち上げられ、死刑判決まで受けながら15年間の不屈の闘いを勝ち抜いた先輩達に最大の経緯を捧げ、犠牲者の冥福を祈り、平和の近いも新たに50年碑を建立する。
                        1999年3月8日
                        東日本鉄道労働組合
                       会長 松崎   明

  ここには、二つの怨念がある。
一つは、犯人が誰であれ、松川で何者かが列車を転覆させ、三人の機関車乗務員が尊い生命を奪われたことである。生命を奪われた方には謀略があったかどうかもかかわりなく、ただ生命を奪われたのである。線路を向いて建っている地蔵と墓は、それを象徴している。
もう一つは、無実の罪で捕まえられた冤罪の恨みであり、弾圧の可能性も高いということである。しかも、迷宮入りで、真犯人は何のとがもなく、平和に生き延びたと言うことである。
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上り列車側に建つ「松川の搭」と共に、階級闘争の時代が、ここにはまだ残っていた。
  この「松川の搭」は、松川事件の原告団、弁護団と支持者によって建てられた。碑文は作家で松川事件被告の冤罪を広く社会に呼びかけた広津和郎によるものである。


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「1945年 8月17日午前3時9分、この西方200米の地点で、突如、旅客列車が脱線顛覆し、乗務員3名が殉職した事件が起った。何者かが人為的にひき起した事故であることが明瞭であった。どうしてかかる事件が起ったか。朝鮮戦争がはじめられようとしていたとき、この国はアメリカの占領下にあって吉田内閣は、二次に亘って合計9万7千名という国鉄労働者の大量馘首を強行した。かかる大量馘首に対して、国鉄労組は反対闘争に立上った。その機先を制するように、何者かの陰謀か、下山事件、三鷹事件及びこの松川列車顛覆事件が相次いで起り、それらが皆労働組合の犯行であるかのように巧みに新聞、ラジオで宣伝されたため、労働者は出ばなを挫かれ、労働組合は終に遺憾ながら十分なる反対闘争を展開することが出来なかった。この列車顛覆の真犯人を、官憲は捜査しないのみが、国労福島支部の労組員10名、当時同じく馘首反対闘争中であった東芝松川工場の労働員10名、合せて20名の労働者を逮捕し、裁判にかけ、彼等を犯人にしたて、死刑無期を含む重刑を宣告した。この官憲の理不尽な暴圧に対して、俄然人民は怒りを勃発し、階層を越え、思想を越え、真実と正義のために結束し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立上ったのである。この人民結束の規模の大きさは、日本ばかりでなく世界の歴史に未曾有のことであった。救援は海外からも寄せられた。かくして14年の闘争と5回の裁判とを経て、終に1963年9月12日全員無罪の完全勝利をかちとったのである。人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である。」
by shingen1948 | 2007-07-23 04:32 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)