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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八坂神社

  「大玉まるごと百選」に八坂神社が紹介されている。
所在地は、玉井字天王下で、京都の八坂神社を勧進し、農業の病害虫避けの神として、奉られている。

  興味はふたつのことだ。
  その一つは、「八坂神社」の主祭神であり、もう一つは、住所が天王下ということから日本の約1000年に及ぶ神仏習合の歴史の中でのこの神社の存在の仕方である。

○ 八坂神社(京都市東山区祇園町)を総本山とする八坂信仰神社ということなので、多分、主祭神は、素盞嗚命(スサノオノミコト)で、疫病や諸々の災厄を取り除く神として祀られていると推定する。
 素盞嗚命は、一般的には、"荒ぶる神"として恐れられる一方、泣いたり、怒ったり、恋したりと、非常に人間くさい神様とも言われている。神々の世界では荒ぶれ者だが、人間の世界では英雄的な働きをする。大蛇(オロチ)を退治して、草薙剣と奇稲田姫を得て、英雄として出雲の地におさまる。

 それで、疫病や諸々の災厄をもたらす神として、人々から畏怖の念をもって恐れられてきた反面、それらの災いを取り除くための、極めて重要な信仰の対象ともなるという。特に村落共同体が、生産と生活を維持するために外敵から自衛しなければならない中世では、村の結束のシンボルとしての存在でもあったとのこと。

○ 住所にある「天王」ということばから、この八坂神社が、神仏習合と神仏分離政策の二つの観点からの経緯が推定される。
① 天王は、日本の約1000年に及ぶ神仏習合の歴史の中で、素盞嗚命と同一視されてきたはずだ。祇園(京都八坂神社)の主祭神であると同時に、仏教の歴史においては、祇園精舎の守護神である。これが、「本地垂迹思想」によって素盞嗚命と習合ていたはずだ。

② 明治維の新政府の神仏分離政策において、天王は、神仏習合の悪い代表例とされた。ことごとく神社の祭神名から抹殺され、素盞鳴命と名乗ることになるのだ。


 その理由は、次のことだ。
○ 神話の神様である素盞嗚命と天王を同一視するのはまずい。
○ 天王を主祭神とする神社が多すぎる。
○ 「てんのう」という呼び名が、維新政府にとっては気に入らない。

  このように、民衆の生活に密着した神(天王)が、政治的理由により歴史から抹殺されることが、ここでもあったということだ。そして、「八坂」という名称が残され、祭神名「素盞嗚」は残る(はずだった)という歴史が推定されるのだ。
  そして、これも大きなことではないとして、見逃されている新政府の仕事の一つだ。
  母成峠に向かって大砲を撃っていたときに見守っていたのは、素盞鳴命であり、牛頭天王であったと推定する。
by shingen1948 | 2007-07-07 09:26 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)