開いて守る自然保護
2007年 06月 16日
盗掘を防ぎ、クマガイソウの群生の絶滅を防ぐために、できるだけ隠そうとするのではなく、公開してしまうことで保護ができるという考え方に興味があったのだ。
逆に、今まで開いていたものを、閉じることによって自然保護をする記事をみつけた。
2007.6.15「朝日新聞」は、「観光から観察へ転換」として、駒止湿原の木道を撤去し、入山を規制しようとする報道があった。
キーワードは、「荒廃が進行し」「踏み荒らし」「盗掘」である。
その原因の一つが、木道の水流せき止めであるということと、小規模の湿原に、ピーク時一日千人の観光客の負荷が大きいということのようだ。直接原因となる荒廃の原因である「木道の撤去」が基本にあって、具体的に自然に負荷のかからない以下の具体策を検討しているようだ。
○ 周囲の農道から展望テラスから行う
○ ガイダンス施設を必ず経てから入る
ここで興味があるのは、どんなルール作りが必要なのかということだろうか。自然への負荷がかからない具体策が、水原のクマガイソウの保護のように開いて守る模索をみせてもらうのに見落としている大切な視点を確かめられると思った。
少なくとも、自然と放置は違うということを改めて思った。管理されることによってしか、自然はたもてないということではないだろうか。私見だが、木道設置も、水流を考慮した設置であれば、自然への負荷はもっと抑えられはしなかっただろうか。もっと積極的に、水流を設計する木道という発想はどうだろうか。そこに検討されている2つの施策をあわせるという方向性はどうだろうか。
「水原のクマガイソウの保護」の姿と比べてみると、「ガイダンス施設を必ず経てから入る」ということに近いのが、入り口に300円の協力費を集めることの有効性ではないだろうか。展望テラスからの観察との視点で見ると、クマガイソウがよく見える位置に櫓を立てて、観察台を造ったことだろうか。踏み荒らし対策は、枠で囲ってあることか。
枠で囲ってあることが、閉じていると思わせないのは、よく見える観察台の工夫、説明板の工夫ではないだろうか。