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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂近辺の奥の細道:自分の散策と比べてみた

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  飯坂近辺の奥の細道を散策を終えたが、そんな折、「おくのほそ道を歩く(田口恵子著)」をみつけた。
  昭和46年福島県県民室により設置された「おくの細道自然道」を参考に、3年かけて福島県内の芭蕉の足跡を辿ったとのことだ。まずは、自分の足で県内の総ての行程を確かめたことに、敬意を表したい。

飯坂古道を散策中、寄り道としての散策であり、狭い範囲の勘による確かめだが、氏がこの地域を散策したことと比べてみたいと思った。
 <瀬上から医王寺へのコース>
  氏は、瀬上から医王寺への道を、市道1級14号線北沢又・鎌田線とみて、愛宕神社の所で右折し、市道六角高舘線と重なる飯坂古道を星の宮まで行って、そこから、五郎兵館跡を通っていったとみている。
今回の散策では、地元での愛好家の説、半沢氏、佐藤氏の説をもとに、芭蕉は、少なくとも星の宮を目指し、河岸段丘沿いに来たはずとの想いがあった。だから、平田舘あたりからは、河岸段丘沿いに来たはずと思った。最北ルートの場合は、星の宮まで河岸段丘沿いのルートできたのではないかと思う。多少、南側の草むらの中に道標を見つけたところから、右折して星の宮に行き、河岸段丘沿いに五郎兵館跡を通って医王寺に向かうこともありえるとも思う。
少なくとも、平田舘→下白山→道標→古道→星の宮→五郎兵館跡というルートではないかと思う。
いずれにしても、確たる資料はないのだから、推定でしかない。
<医王寺から飯坂へのコース>
氏は、芭蕉が小川をわたるのは、八景の渡しと考えているようだ。
今回の散策の参考資料としている「飯坂道の今昔」の佐藤氏は、八景橋と称する幅3尺(90cm)長さ5間の厚板が架設されていたと考えている。ここは、水量の関係から佐藤氏が正しいように思うが、チャンスがあれば確かめたい。
a0087378_4484572.jpg<飯坂泊について> 氏は、芭蕉の飯坂泊を、滝の湯に入り、常泉寺の南、八幡神社東の古くからある家の建て込んだ辺りの貧家に宿を取ったと観る。
地元では、滝の湯の湯守小屋に宿泊と見ている方が多いようだ。
  氏が滝の湯跡を訪れ、石柱に説明があったとのことだが、見落とした。ただ、古い石垣との思いから写真を撮っていて、それを確かめたら確かに石柱があった。入り口側から、「土間の跡」「冷えの湯の跡」「熱の湯の跡」とあるそうだ。
<その他>
  飯坂泊のあと、十綱の渡しを渡っていったということについては、皆ほぼ同じ見解のようだ。
実際に大鳥城跡へ行ったかどうかということについては、氏は訪ねた場合を想定している。地元では、芭蕉のフィクションとみる見方も強い。
by shingen1948 | 2007-05-14 05:02 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)