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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂古道寄り道:奥の細道探索~飯坂温泉

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先週の土曜日の医王寺までの探索のため飯坂を訪れた時は、鯖湖湯で一休みしようと思ったのだが、温泉祭りをやっていて、入湯できなかった。




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  文知摺観音から、医王寺へと歩いた芭蕉一行は、この近くの摺上川沿いの湯に入って、宿を借りることになるのだが、その家は、「土坐に筵を敷いて、あやしき貧家」とのことだ。
この「あやしき貧家」に宿泊する前に湯に入るのだが、鯖湖湯か透達湯という説がある。
観光協会としてはこちらがいいと思うのだろう。鯖湖湯周辺はきちんと整備されていた。
平成5年に改築されるが、それ以前の建物の面影を残したまま改築されている。旧建物は、日本でも最古でないかといわれる共同浴場の建物だったという。
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地元では、入った湯は、「滝の湯」ではないかというふうに言われている。宿は昭和十二年に火事で焼失した「滝の湯」の湯番小屋だったとのことだ。当時の「滝の湯」は露天風呂だったといわれている。今日は、こちらを訪れてみた。
まず、飯坂電車で、飯坂駅まで行き、そこから駅前の十字路を北に進む。旅館「花水館」の正門の脇に案内道標がある。
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「滝の湯跡」は、旅館の脇道の階段を降りたところだ。




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現在、跡地には芭蕉記念碑が建てられている。碑には「おくのほそ道」の「飯塚温泉」の章が刻まれている。

飯坂温泉協会発行の椎野健次郎著「飯坂散歩道」によれば、芭蕉と曽良が立ち寄った元禄2年5月の飯坂は、堀田正仲領で、上飯坂村の戸数は74、人口326人で、村内に、鯖湖湯、 透達湯、滝の湯、波来湯の4つの温泉があったという。

芭蕉一行が「あやしき貧家」で一夜を過ごすことになったのは次の理由とのこと。
当時の飯坂は堀田領だが、上杉が治めていた時代の影響が強かった。特に慶長九年の藩令「田地を開作せず、あきないもいたさず、むざとこれあるもの(不審者)、其村に置くべからず、宿かすまじきこと」の達しが浸透していたという。
昔の人にとっては、俳聖芭蕉もただの旅人。土間をかし、筵を敷いてやったのは、むしろ当時の人が精いっぱいもてなしたことであり、あたたかいこころづかいだったと。

飯坂駅前の案内板では、芭蕉の飯坂泊まりについては、以下のように記述してあった。
旅の途中、芭蕉は門弟曽良と共にまだ温泉場とての形態を整えられていない当時のひなびたいい座か温泉を訪れている。
(中略)
然し、飯坂の泊りは雷雨降り、持病もおきて寝苦しい一夜であった様である。
by shingen1948 | 2007-05-12 18:17 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)