地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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納得できなかったのは社会的課題を、個人の道徳に矮小化したところだと教えられました。

教育基本法の改定で、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する態度を養うこととする一項が設けられた。
「心のノート」の配付など、国が、「愛国心」「郷土愛」を教え込もうとする教育が進められつつある。

 このことについて、何かが違うという感覚はあるのだが、どこがどう違うと言われると、言葉に窮してしまう。自分の感覚が説明できないもどかしさがあった。 2007.3.9「朝日新聞」の文化欄の記事を読んで、これだと思った。
 それは、滋賀県立大講師武田俊輔氏の「柳田国男と愛国心」と題した評論である。柳田国男の郷土教育の考え方を基本に、相互批判と啓発の重視こそ大切だと批評した記事だ。
 
柳田の郷土研究や郷土教育の意義は、貧困をはじめ衣食住や婚姻、労働といった日常の場における不幸や困難と、その原因を歴史的に究明して、暮らしの課題を解決する手がかりを提供することにあったとした。
 最近の愛国教育は、偏狭な愛国心やお国自慢だとした。大切なのは、学問を通じた生活改善と経世済民の志であり、貧困を自己責任ではなく、社会的に共有すべき課題として見据える批判的視点を大切に考えたとのことだった。
 この意義の具現のため、柳田国男が考えた方法は、雑誌メディアだったとのことだ。
 「郷土研究」と「民間伝承」といった雑誌に、郷土研究に関心を持ち、日常の課題から発した問いや問いを生み出す材料となる日常の言葉や作法・風習を投稿する。それに呼応して、他の読者が意見を開陳し、雑誌という場で読者同士が討議する。こういった日常の不幸を解決するのに、個別の努力だけでなく、対話を通して問いを共有し、相互に批判啓発しあうことが大切だとした。


 つまり、個別の課題を社会的問題として捉え直す公共の場が必要なのだ。その観点から、最近の愛国心教育を批判したのだ。
 国と郷土を愛することを自明とし、社会的な課題を個人の道徳の問題へ矮小化させていると。公共の重視を謳いつつ、実際には、国と郷土の誇りを吹聴し、個人に、国家への奉仕を要求するにすぎないと小気味良い。

 暮らしの課題について国家への批判をも含めて自由に討議できることこそ、郷土教育の基本だとする主張に、その通りだと思った。道徳的であったり、奉仕を主張されると、素人には否定しにくいのだが、もっともらしく矮小化した価値観を押し付けるところが変だったのだと、自分の感覚が理解できた。
by shingen1948 | 2007-03-09 18:37 | ☆ 教育話題 | Comments(0)