自然精霊信仰の原点が学べるような気がする
2007年 03月 05日
語っているのは、吉田敏浩氏というジャーナリストであった。聞き手の大高崇氏に、北ビルマ山岳地帯で自ら生死をさまよい、少数民族カチンの人々の自然な精霊信仰に魅せられたことを語っていた。私にはとても新鮮に感じられた。
内容的には、ミャンマーでの解放軍と生活を共にした経験の中から、少年の死の経験をもとに、自然な精霊信仰の在り方について、また、政府軍の死体との対面から、死者との対峙のありかたについて語っていた。他者の悩み痛みに寄り添うことや、生と死を自らの胸に抱いて多様な生き死にを見つめること等の有り様を模索しているとのことだった。
著者検索で、氏が、フリー・ジャーナリストで、85年3月から88年10月まで、ミャンマー北部のカチン州とシャン州を長期取材し、その記録をまとめた『森の回廊』で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞された方だと知った。お恥ずかしいことだが、それまで氏を知らなかった。著作を確認したら、主著の中に「民間人も戦地へ」、「反空爆の思想」等反戦の著書があった。この本なら本屋で見たことがあると思ったが手に取らなかった。それは、私には、反戦運動のイメージは、正義感をもとにした政治活動としての印象が強かった。それで、手に取る事は無かったのだ。
ところが、氏は、自ら生死をさまよい、少数民族カチンの人々の自然な精霊信仰を体験を通して理解し、他者の悩み痛みに寄り添うこと、生と死を自らの胸に抱いてた上で、反戦の思想を著しているのだ。
手に取らなかったのは、自分の反戦イメージの貧弱さと、死生について求めるものが浅かったから、見ていても見えていなかったせいであることを認識した。
まずは、氏が魅せられた少数民族カチンの人々の自然な精霊信仰について学んでみたい。