給食未納問題は、個の問題か、全体の問題か
2007年 02月 24日
そうすると、親に「××さんは……でなかったよ。誰だか言ってみな。」と言われる。「○○ちゃんと△△ちゃんと……。」と応えていくが、皆どころか、ごく小数であることが明らかになってしまう。
やりたいことがあると、その目論みを実現する手段として、個の問題を全体の問題にする。幼い日の要求パターンは懐かしい。
2007.2.24「毎日新聞」主張提言討論の広場で、日大教授の広田 照幸氏は…給食費の問題について、この論の進め方を批判していた。
氏は、「ダメと決めつける前に」と題して、次の三つの観点から批判した。
その一つは、統計的な数の問題である。
そのニは、増加現象認識の根拠のあいまいさである。今突然クローズアップする理由である。
その三は、これ等を論拠に親全体の規範や道徳の押し付けの論拠とすることの危険性だ。多様な生き方を規制することに使うのは、生き方の自由度の規制となり、等身大以上の生き方の要求になる危険性である。
その一の問題として、とりあげた統計的な数の問題が、幼い日の懐かしい要求パーターンである個の問題を全体の問題にすりかえる論法である。個の問題だから、本来は徴収業務システムの強化の工夫の問題にしていくべきである。ごく一部の困った親に怒って今の親全体を問題視するという論の進めかたの問題点を指摘した。
目論みは何かと勘繰れば、都内の小学校で、子供達と給食を一緒に食べる首相の写真が目に入る。現在が悪で、改革後が善という分かりやすい構図を作り出す人が、「給食費の滞納問題で困った親の存在がこれまでにもましてクローズアップされた」のはなぜかと聞かれればなんと応えるだろうかと考えてしまった。
現在の保護者が悪で、この悪を排除する政府や自治体が善という構図を作り出すことを目論むのではないだろうか。
私のとり過ぎかもしれないな。