地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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玉井の掘り当てる文化~金山

a0087378_12391861.jpg   大玉の又兵衛山には、金山跡があり、高玉金山と同じ鉱脈という話は、聞いている。また、鉱山の抗口があって、蝙蝠が住み着いているということは知っているが、まだ行ってみていない。時代背景についてもよくわからない。それで、とりあえず、近所で、しかも同じ鉱脈で、確認しやすい「高山金山」を確かめてみようと思った。
 まず、「高玉金山」の現地を確認しておくことにした。県道8号線の道案内をたどって、とりあえず行ってみる。途中かなり細い道路で、迷ったかなと思いながら、看板をめがけていくと、高速道路をくぐった所にそれらしいところが出てきた。観光施設に着く前に、石垣を積んだ空間が見えたので、とりあえず写真を一枚撮っておく。
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 ここまでにして、家に戻り、観光施設の「ゴールドマイン高玉」のホームページで、概要を確認しようとしたが、見つからない。そこで、あちこち探していると、そこを取材したという、「空間通信」というページが見つかった。その「マインパークシリーズ」というところで紹介された記事をもとに概要をつかむことにした。その説明による概要は以下のようである。


 「高玉金山」は、安土桃山時代から天正年間(1573~1591年)において、会津藩領主・芦名盛興によって開山され、以後昭和51年の閉山まで4世紀の歴史を持つ金山である。開山したころ、時はまさに戦国時代。諸大名は生き残りをかけ、武器や兵隊の調達、また献上物として、財源確保のための金銀獲得は重要であったことから、金山開発を奨励していた。それを裏付けるように芦名盛興は、この「高玉金山」以外にも加納、高旗、佐渡と次々に発掘。それらをあわせて、「芦名四金山」といわれている。
 「高玉金山」は主に本山(もとやま)・青木葉(あおきば)・鶯(うぐいす)の三抗部(ひとつの坑口から広がる採掘エリア)から構成され、 現在の施設は、青木葉エリアに属している。金は、国内の金鉱山では1トンあたり2~3gほどしか採掘されないが、この青木葉抗では、多いときには1トンあたり10~20kgも産出されていたという。

1573(天正1)会津藩主芦名盛興公によって「高玉金山」開山。(安土桃山)
1643(寛永20)保科正之が就封するとともに、高玉金山は二本松領となる。(江戸時代)
1696(元禄9)二本松藩高玉金山奉行として中村与葱左衛門(1684年没)の記述あり。 <二本松寺院物語>以後技術的に限界に達したためか、鉱山記述はなくなる。
1893(明治26)樽混泉法による製錬を開始。
1903(明治36)青化製錬法による製錬を開始。
1918(大正7)高玉金山として生産を開始。
1920(大正9)本山~熱海駅間に索道を架設。鶯軌道(馬車)設備。青木葉坑開発に入る
1929(昭和4)日本鉱業の経営となる。
1962(昭和37)日本鉱業、高玉鉱業所を廃止。高玉鉱山株式会社となる。索道廃止、トラック輸送へ。
1976(昭和51)生産を全面休止。総生産量、金28トン、銀280トン、採掘総延長 800km。
1996(平成8)観光施設、「ゴールドマイン高玉」として再開坑する。

 玉井の金山は、葦名氏時代のものに相当するものか、それとも、近代の鉱山に相当するものか、確認できていない。こういった鉱山は、私有地で、盗掘を恐れて、情報や記録が見つけにくいと聞いている。偶然何かの機会に知っている人とであえたらいいなと思っている。楽しみである。
by shingen1948 | 2006-12-26 12:56 | ◎ 玉井村の史跡考 | Comments(0)