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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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明治43年の水保地区洪水を地図に起こしてみる

 水保地区は、荒川と須川に挟まれ、中にまた白津川と鍛冶屋川があるので、いつも洪水に悩まされていた。しかし、その中でも明治43年の大水害は大打撃だった。これは、地形をも変えるほど激しいものだったという。この時の水の流れを記録を元に、地図に示してみた。
 地図の上部に水色で示したのが、須川、下部に水色で示しているのが、荒川である。中央を縦に横切っているのが、鍛冶屋川、そこから分離して、上部で分かれているのが白津川である。下記の記録をもとに、ピンクで洪水の水が流れた所を示してみた。今の地形の目安は西工業団地を通り抜けた感じである。ただ、水保小学校では、校門のところを鉄砲水が押し寄せたはずだが、ピンクの水路からは外れている。やや濁流が収まった時期の記録を元にしていると思われる。実際は、もっと激しい濁流だったと思われる。古老の話として、ずいぶん長い間水が引かなかったと言い伝えられている。

a0087378_2156589.jpg 8月1日から断続的に雨が降り続いていた。荒川の水は増水し限界を超えた。12日朝6時に、佐原四か村堤防が決壊し、押し出した濁流は、佐原村を縦断して水保村に入った。鍵合内、上古屋の間を通り、辻内の南から榎内の西、中原の南を通り、明神前から真っ直ぐに百目木に達して須川に合流した。
by shingen1948 | 2006-12-18 21:58 | ◎ 水 | Comments(0)