地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「むら」から「村」へ~「むら」と「むら」の意識差異

 クマとの共生について想いを巡らせたとき、玉井村と山入村の違いが気になりだした。 玉井村は、江戸時代の共同体としての「むら」も、明治の行政区としての「村」も単一の村としてあり続けた経緯をもつ。江戸時代の「むら」としての玉井村と山入村は合わさっているのだが、類を大切にする文化のもと、共同体としての想いは同化していている。
 しかし、クマとの共生の感覚には、少し違うものが見える。共同体としての「むら」としては、玉井村と山入村が存在しているように感じるのだ。
 また、玉井村として語るとき、共同体としての「むら」を語るときには、「玉井むら」を語ることが多い。それは、行政区としての村としては、山入村が従属的に存在しているからだと思う。行政としての村は、税・学校・兵役を司る最小単位ということを考えているはずだが、小学校は、玉井村の相応寺に玉井小学校がスタートし、山入村は玉井小学校の分校として山入の寺で山入小学校をスタートさせている。他の税・兵役等の事務は、位置的には玉井村で行われている。

クマとの共生の想いをきっかけに、同化の意識が進んだ中から、それでも残る差違の意識にも着目してみたい気がしている。
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 蛇足だが、昨年、近隣の市町村で、平成の合併が進んでいる頃、大玉村では、合併60周年を祝っていた。
 これは、昭和の合併で、小学校区の市町村の大きさから、中学校区の市町村の大きさを基準に考えられた合併についてのお祝いである。この時の規模は、全国的には、市町村12000、一行政区が10250戸とのことである。
a0087378_4383310.jpg 現に、ここ大玉村でも、玉井村と大山村が合併し、それぞれの村にあった中学校を統合し、大玉中学校が創立されるという経緯をたどっている。
玉井の行政村は、先に示したように単体だったが、大山村は、若干違った経緯をたどっている。明治九年に行政区としての「村」に移行する頃、上大江村と下大江村が合併して大山村ができているのだ。また、大山村の共同体としての「むら」から行政としての村への移り変わりについては、いくつかの「むら」があわさっている。江戸時代の共同体としての「むら」は上大江村、下太江村・大江新田村・椚山村であり、これらが、いろいろな経緯をたどりながら合わさって大山村は、形成されていた。 
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by shingen1948 | 2006-12-15 04:53 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)