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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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玉井の文化「掘り当てる文化」の推定について

 ここ玉井には、「掘り当てる」文化があったのではないかと想像している。

  こんこんと湧き出る地下水を掘り当てる技術は、今でも行われている。
今は、行っていないが、安達太良山を中心に、温泉を掘り当てる技術や、金鉱や鉱物を掘り当てるという技術があったと想像できる。金鉱や鉱物は、火山帯とのかかわりで産するものであり、温泉を掘るということとかかわり合う。

  まだ見ていないが、金鉱石の坑道跡が残っているという。これは、高玉の坑道と同じ鉱脈とのことだ。今は、その坑道は蝙蝠の巣になっているという。江戸の時代には、小規模ではあったろうが、掘り進んでいたのは確かだ。

  玉井村という村の名の由来という「玉井の井戸」の話は、水晶という鉱物を掘り当てたということであろう。
 手元には、水晶の歴史的な背景に関わる資料が無いので、甲府の水晶に関する資料をみて、推測してみたい。その資料から読み取れる概要は以下のようである。

 水晶は、古くから信仰の対象や貴族の装身具として水晶細工が行われていた。水晶の歴史は2万年前の旧石器時代にまでさかのぼる。約4500年前の縄文時代には、水晶を鏃や錐に加工していた。1,000年前の平安時代には原石のまま飾り、信仰としていたらしい。武田勝頼の遺品の中に水晶数珠が残っている事から、既に戦国時代には水晶細工が行われていたものと考えられるという。
 甲府での水晶細工の起源は江戸時代になってからという。享保年間(1716年~1736年)に甲州御岳・金桜神社の神官が信仰対象として水晶を使ったのが始まりとのことだ。天保年間(1830~1844)京都の「玉造」より職人を迎え、鉄板の上に金剛砂をまいて、玉の手磨き方法を習得したのが水晶加工の始まりとのことだ。甲州研磨として定着し、江戸時代末期には地場産業の基盤を築いたという。

 近くの沢からは、今でも水晶が拾えるという。また、近くには、古墳群があることから、その宝物として水晶細工は古い時代から行われていたと推定することは可能だ。しかし、産したものが「水晶玉」ということにこだわれば、江戸時代の話ということと推定することになるようだ。不確実ではあるが、玉井は、高玉あたりと共に鉱物を求めて掘り進めている人々がいたと考えてよいようだ。
by shingen1948 | 2006-12-12 19:49 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)