地域全体で考える総合治水考
2006年 11月 27日
武庫川ダムが建設され、武田尾渓谷の自然が崩壊するのを防ごうと反対運動が起きたことをきっかけに、計画をゼロベースから検討することになったという。そして、武庫川流域委員会を中心に住民参加の川作りをはじめたとのことである。ダム反対の住民を含めて、この川とどのように付き合っていくかを話し合い提言したとのことである。
その提言内容を読んで驚いた。
提言では、治水を河道の中だけで考えるのではなく、流域全体で考える「総合治水」の方針を貫いたという。森の保水力を高め、大雨のときには水田やため池、学校のグランドや公園に水を貯留し、川への流入を抑制するという考え方だ。既設の水道用ダムも活用するし、川からあふれた場合に備えて、水害に強い都市や住宅の構造に変えていくとのこと。

この提言は、具体的には、森の保水力に着目したり、あふれた雨水をグランドや公園に貯留する考え方である。この例は、現代の最先端の考え方だ。ところが、荒川の「かすみ堤防」とあまりにも似た考えだとは思わないだろうか。荒れ狂う荒川を体験した江戸時代の住民は、自分たちの知恵で、総合治水を考え出しているのだ。体験を通した人々の知恵の奥深さを感じたのだ。
しかも、提言の真骨頂は、行政まかせだった川づくりを流域住民の手に取り戻したこととしている。「川とともに生きるまちづくり」が最も大切との認識も、今でこそ消えつつあるが、洪水の歴史で掴み取っていた感覚だったと思うのだ。その復活を目指す動きこそ、大切なのだと改めて思った。
さて、安達太良川であるが、本宮では、阿武隈川への合流地点で洪水になる可能性を秘めていると聞く。自然を守るという一つの観点だけでは、人間と共存できない川だとのことだ。大雨のとき、この川の治水の考え方は、何を基盤にしてるのだろうか。まず、三ツ森ダムでの調整だろうか。其の後、河道だけの治水を考えるのではなく、流域全体で考えるようになっているのだろうか。もし、そうなっているとすれば、例えダムの操作のタイミングが多少ずれても、緩衝力が働いて、大きな被害にならないですむだろう。
桜公園等そういつた考え方で作られているのかもしれないとも思う。そういう視点で今度見てみることも大切かなと思っているる