原因追求よりも救う方法が大切でした
2006年 11月 24日
記者が言う「問責よりも」という部分については、同じだが、大切なものの部分が、少しずれる。私は、原因追及とした。そうすると、この例のように、原因がいじめだけに絞り込めないという事実にぶつかってしまうのだ。いくら考えたって、これはごく当然の帰着だ。要は、問題点がここにあるのではないということだ。だから、私の感覚には限界が生じてしまうのだ。
記者が言うように「救えなかったか」あるいは「救える方法」はなんだったのかということが大切なことだった。その点では示唆をいただいた。
ただ、学校が何ができたかは、記者が言うほどたやすいとは思わない。けれども、救える方法をできうる限り手を尽くさなかったことは確かだ。しかし、それは、学校だけでなく、家庭も、マスコミであるあなたも、そして私もだ。そういった大人の感覚が大切なのかもしれないと思う。