十九夜講の石碑
2006年 11月 17日
18夜の月は、「居待月(いまちづき)」で、日没後2時間半くらいで月が昇る。もう立って待っていられなくなって、座って待つようになるから『居待月』と呼ぶ。
19夜の月は、「寝待月(ねまちづき)」あるいは「臥待月(ふしまちづき)」で、日没後3時間20分ほどで月が昇る。座っているのにも飽きて寝て待つ月である。
20夜の月は、「亥の刻月(いのこくづき)」で、日没後4時間10分ほどで月が昇る。季節によって日没時刻は違うが、大体「亥の刻(今で言う22時ごろ)」あたりに月が昇ることになる。夜が更けてから出てくるので「更待月(ふけまちづき)」とも呼ぶ。
19夜の月は、満月と下弦の中間で、趣のある月だ。春には夜半に南の空低く黄色みを帯びて見え、晩夏~秋には、夜明け前の空高くに輝いている。神酒の海、静かの海の美しい地形が見える。
月に対する思いは、単に、美しいというだけでなく、月には満ち欠けする命のイメージを重ねている。だから、太陰暦の1月というイメージにも、生命の一生というイメージが重なっている。月の運行だけでは、季節がずれるので、太陽の運行に基づいた「二十四節気」との調整をする。
約3年に1度(実際には33ヶ月に1度)同じ月を2回繰り返す年を設けて1年13ヶ月とする。この2回目の月を「閏月」と呼んでいる。多分、太陽暦のように、4年に1度、2月が29日ある年を設けるという数字合わせだけでなく、ひと月が一生命体との思いがあっての調整だったろうと思う。
単なるカレンダーにまで、生命体を感じられる昔が、今の感性より豊かだと感じるのはおかしいだろうか。