地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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不気味な月を見た

野仏の見方―歴史がわかる、腑に落ちる|Excite エキサイト ブックス (文学・本・読書)
野仏に興味を持ったのは、古道を探して歩きはじめてからである。おおよそ、講と関連したて石仏についてやや分かりかけてきたところで、この本とであった。
 この中で、特に感心したのは、その講の奥深い意味を感じることができたことである。なんとなく行われたであろう講の意味を知ることで、講に参加していた人の恐れなどの心が、漠然としてあるらしいことを知ったことであった。

 例えば、庚申講と道教の関係である。
 中国の道教では、人体に3匹の虫が宿り庚申の夜に寝入った人体を抜け出し天帝に宿主の罪業を報告する。天帝は北極星の神格化されたものといわれ、三尸(さんし)の報告に基づいて、宿主の寿命を差し引く。だから、宿主は奏されないように、寝ないで集まるというのが原型とか。
 日本風に変化しても、昔の人の心の中に、漠然とこういった恐れの気持ちがあっただろうことの想像である。

 庚申講は60日に一回だが、月待ち講は、28日に一回で頻繁である。種類は、13夜から26夜講まであるようだ。それぞれ定められた特定の月齢の晩に、当番の家を宿として集まり、月の出を待つ。
 当日は月が出るまで勤行(ごんぎょう)や飲食会話に興じながら待ち、月が昇ると各自心願をかけて解散となる。内容的には、明るいようだ。でも、この信仰のルーツは、日ごとに月が欠けるのを恐れた原始信仰にあるといわれるとのこと。
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 そんなことを考えていて、車を走らせていた。夕方6時半頃、土湯温泉から福島方面に山を下ったとき、赤い大きな月が突然見えた。不気味だった。家に戻って月齢を調べたら、月齢17.9である。昔なら18夜の月待ち講といったところだろうか。

まだ調べていないが、昨夜は庚申ではなかったろうなと不安になった。
by shingen1948 | 2006-11-09 19:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)