十文字岳温泉地を訪ねる
2006年 10月 28日
元岳温泉から6キロ程下の平原地(現在の不動平)に新温泉地を建設に着手した。
地図で確認してみると、塩沢温泉のあたりである。ともかく行ってみることにした。
ここの歴史を閉じるのは、戊辰戦争において敵西軍の拠点になることを恐れた二本松藩士によって焼き払われてしまったことによる。それで、山入村in会津のタグもつけておくことにした。
岳温泉のホームページによると、以下のような概況だったとのこと。
高台に藩公御殿や温泉神社が鎮座し、下方には4区画の町並み、中心地に14件の旅館と3つの共同浴場、茶屋・商店・工人が軒を連ねていた。旅館は総て2階造りであり、当時としては想像を絶するほどの温泉街であったことがわかる。また嘉永5年(1852)刊『吾妻のみやげ』所収『諸国温泉効能鑑』の全国温泉番付によれば「陸奥の岳温泉」の名で東北地方第1位にあたる東前頭2枚目に位置づけされ、全国に知られた温泉でもあった。
次は、このことを確認する探索になる。足がかりとして、湯川近辺を撮影してきた。また、各種説明文は、塩沢温泉によってなされている。これ頼りに次の探索を考えている。